リラはもう幾日も、数えるのも嫌気が差すほどの時間、光を浴びていない。
 深い喪失感と虚脱感。そして、延々と襲ってくる恐怖。それが何に対する恐怖なのかわからないのだが。
 このままでは自分は生きてゆく事ができない、もうこのまま死んでしまうのかもしれない。ひょっとするとこれが限界なのかもしれないと何度も思った。
 根源的な恐怖が、リラを絡めとろうとその腕を伸ばして待ち受けている。






 コウキのように、お日様のように、リラもやがて止まってしまう。
 後に残されるのは静寂の世界、何も生み出される事がない世界。そこはきっと、今の何倍も、何十倍も寒いのだろう。比べる事もできないほどに寒いのだろう。

 分厚い雲の合間から漏れてくる、薄い光のベールすらも、その世界にはない。
 一面の闇。見渡す限りの闇が、リラの体の中に入り込んでくる。それを嫌だと思っても、真っ暗な世界でリラは、動く事すらできないのだ。逃れる事などかなうはずがない。
 そして自分は闇からの浸食を受けて、自分ではないものへと変質する。人間の死は、希望に満ちたものなどではない。そして、リラ自身の死も。






 誰か、私に光をください。まだリラが歩けるうちに。まだ私が諦めてしまわないうちに。歩みを止めてしまう前に、私に光を。誰か私に、光をください。

 それは、誰にともつかない乞いだった。リラは今まさしく、光を乞うていた。誰でも良かった、自分に光を与えてくれる人間を、彼女の体は求めていた。狂おしいほどに。






「笑われちゃうかな…」

 リラはふと、そんな事を口に出した。
 意識はすでに朦朧とし始めており、自分が何を話しているのかも彼女にはよくわからなかった。
 ただ、リラは何者かに操られるかのように話し始めた。真っ白い壁にもたれかかり、さかさかと足を動かしている群集の方をぼんやりと見て。

 リラの様子は、まるで一人芝居を演じているかのようだった。
 もうじき終わりを迎えるクライマックスに用意された、一人の少女の独白。
 しかし、残念な事に、それを見る観客と言うものは存在しなかった。観客となるべき人間達は、リラの方になど目をやらずに、一心不乱に足を動かしつづけていたからだ。ただ、当のリラにしてみれば、観客がいようといまいと関係がなかったのだが。

「私…ずっと、人間の事、憎んでたのよ? 太陽の光を奪った存在として。なのにどうして、今更頼ろうとなんて、してるの?」

 そんな権利、自分にはないのだ、とリラは考える。
 本来ならば、人間は、里の民たちとは敵対する存在であったはず。たいした力も持っていないくせに、この星の支配者面をしている、厚顔不遜な生物たちだったはずなのだ。
 しかし、今のリラは、人間達の光がなければ、生きてゆく事ができない。おかしいではないか。こんなことは、おかしいではないか。

「ねえ、もう笑うしかないよね、リラ…」

 光を奪ったものたちに、それとは別の光を求める、こんな滑稽な事が、あっていいのだろうか。
 今まで自分はそんな事にも気付かなかったのか…それとも、気付いてはいたが気付かないふりをしていたのか。

「人間っていうのは、憎むべき存在ではなかったの?どうして、あんな奴らの優しさに…甘えてしまったんだろう?私は一体、どうすればよかったんだろう?」

 コウキ。初めて出会った人間。彼のやさしさが、あんまりにも心地よくて、ついつい、甘えたままここに来てしまった。あのとき、人間など信じないという意思があったとしたら。
 リラはそれができずに、彼を信用してしまった。好きだと思ってしまった、しかしそれは、後悔しなくてはならない事なのだろうか。

 里から降りてきて、そのまま、光の不足で死んでしまえばよかったのだろうか。そうしたら、一体どういうことになっていたのだろうか。
 今ごろしてみても意味がない仮定を、リラは頭の中で転がしてみる。そのことがさも、自分の上を紛らわすかっこうの材料であるかのように。もしもリラが気付かなかったとしたら。人間達が太陽にも負けないような光を持っているなどという事を知らずにいたとしたら。こんなにもどうしようもない気分になる事はなかったかもしれない。

「私、人間に寄りかかっているのは、嫌だったはずなのよ。あんな、あんな種族に頼って生きるくらいなら、死んだ方がましだって、思っていたはずなのよ…」

 それはあくまでも、はず、だった。リラは、この街に来て、人間を知ってしまった。
 人間の持つ光を浴びてしまった。
 今のリラには、昔のように人間という存在を、ただ憎んでいる事は、彼らをまっこうから否定する事はできそうになかった。

 リラの出会った人間達は、確かに輝いていた。何がその輝きをもたらすのかは全くわからなかったのだが、確かに輝いていたのだ。リラの人間に対する印象を、覆してしまうほどに。

「だけどこんな…光を持たない人間ばかりが増えてしまったのでは、一人一人がきちんと生きてゆく事なんて、できっこない。放っておいても、人間が滅亡するのはすぐでしょうね。」

 そう呟いてみて、リラは、自分の中からすぐに、「それは嫌だ」という言葉が浮かんでくるのを感じてしまった。そんな感情は認めたくなかったのだけれども。

 本来ならば、人間など、滅びてしまった方がいいのに決まっているのだ。リラたち緑の民を死においやったのは人間。緑の里を滅亡にまで追いやったのは人間。自らの種族の敵。
 たとえその事がなかったとして、それでもこの星の本当の回復を願うのならば、人間という病原体をここから抹消してしまう事、それが一番手っ取り早い方法だという事は目に見えている。
 そうすれば、まだ、完全に汚染されてはいない大地から、次第次第に新しい命が生まれてゆくだろう。人間の脅威におびえる事のない命たちが生まれてゆき、この星はもともとの活気を取り戻すだろう。
 緑の惑星。海の惑星。そういう表現にふさわしい、美しい星へと戻ってゆくだろう。

 しかし、その美しい星に、人間が立つ事はない。それは、何故だかリラにとって、寂しい事のように思えた。
 コウキに見せてあげたかった一面に緑の萌えている光景を、人間達の誰一人としてみる事ができない、それは悲しい事のように思えた。






 ああ、そうか、つまりは単純な事、

「私は、ただ、好きだっただけなのね。あの光が、人間達の放つ光が。…光を持っている人間たちの事が。」

 それだけなのだ。






 お日様と同じ匂いのする人間達の事が、リラは好きだったのだ。
 あの光に包まれている時こそが、リラにとっての幸せだったのだ。ただ、それだけの事だ。リラは人間のために太陽を失い、しかしまた同じ人間によって生かされてきた。それが、少しばかり事態を複雑にしているだけで、枝葉を取ってしまえば、なんという事はない。

 リラはいつの間にか、人間のことを、好きだと思うようになっていたのだ。
 人間のはなつ光を、前を向きつづける瞳を、彼らの中に宿った、暗闇の中で風にふかれても消えない炎を、いつのまにかいとおしく思うようになっていたのだ。

 目を閉じれば、あの光の残像を、心に描く事ができる。
 心の中のそれは残像でしかなく、リラの糧となることはない。
 しかしそれでもなお、リラはその光を、いとおしいと思う事ができた。不思議と安らいだ気分だった。

 ひょっとすると自分は、このまま目を開けることがないのかもしれない、そう、リラは感じた。
 もう、自分の体は限界に達している。いや、とっくに限界などは越えてしまっている。もう二度と、歩き出す事はできないのかもしれない。
 このまま眠るように、動かなくなってしまうのかもしれない。
 それでもいいような気が、少しだけした。たくさんの人間達の、光の記憶と共に眠るのなら、寂しくはないだろう、と彼女は思った。






 けれど、まだやっていない事があるような気がした。
 このまま眠りについてしまってはいけない。このまま、ただ人間の光に甘えて、寄りかかったまま眠ってしまうのではいけないと思った。






 何か、自分のやるべき事があるはずだった。
 たくさんの人間達から、リラは光をもらった。エネルギーをもらった。
 彼らがいたからこそ、リラは今まで、生きてくる事ができたのだ。このままではいけない。このまま、動かなくなってしまってはいけない。まだ眠るわけにはいかない。死ぬ事はできない。まだ、生きていなくてはいけない。


 自分には、何かできることがあるはずだった。大好きだった光たちのために、何かするべき事があるはずだった。それを成し遂げる前に、一人で死んでしまう事など、許されるはずがない。
 リラは、ただ、何かをしなくてはならないと思った。

 自分の体から突き上げるその想いは、コウキの元で知った、知りたいという言葉にも似ていた。
 まだリラは、自分が生きている事で、何をなすことができるのかを知らなかった。それを知るためにも、リラは生きなければならないと思った。

 そしてまた、何かをしなくてはならないという衝動は、リラ本人の預かり知らぬ事ではあったが、光を発していた人間達一人一人に共通するものであった。
 体の中から自分の意志とは関係なくやってくるもの、本能的なもの。何かをしなくてはならない、何処かへ行かなくてはならない。そのために、生きなくてはならない。






 私は、生きるのだ。
 生きて、見つけなくてはならない。
 何か私の出来ることを、私のするべき事を見つけなくてはならない。

 私は知らなくてはならない。
 私が一体何者であるのか、私は一体誰なのか。
 そのために私は、まだ生きなくてはならない。
 まだ、平穏な眠りについてしまうわけにはいかない。
 静寂の世界などではなく、必要以上に流動的なこの世界で、もまれて歩きつづけなくてはならない。
 もっとずっと遠くまで。

 死んでしまうわけには行かない。生きていたい。

 光を。私に光を!もっとずっと強い光を!!






 リラは、その衝動に身を任せた。真っ白な細い腕を天につきあげ、どこまでものばそうとした。
 リラは、その葉を精一杯に空へと向けて、のばそうとした。
「光をください。私が生きるための光をください。」

 生きなければならない、生きなければならない、まだ死ぬわけにはいかない。

「もっとずっと強い光を!」

 生きていたい、生きていたい、生きていたい。

「光を!!」

 声を限りに、リラは叫んだ。葉を鳴らし、その身をよじって願った。どこまでもどこまでも手を伸ばした。あの空へと届くまでに。



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