光が欲しい。もっとずっと、いくらでも欲しい。
 もっと、コウキのそばへ行きたい。光のもっと強い方へ。少しでもたくさんの光を浴びる事ができるように、腕を伸ばし、顔を光の差す方角へ向け。
 そうしてリラは生きてゆくのだ。

 コウキのそばにいれば、一番安らぐ事ができる。それは、甘美な思いだった。
 リラがコウキに対して抱いていたのは、お日様に対するような憧憬。何よりもいとおしい存在へ向ける、あらん限りの思い。自分の根源からやってくる、その感情を何と呼ぶのかリラにはわからなかったが。

 しかし、そのような時間は、決して長くは続かなかった。いつの間にか衰退していた日の光のように、リラはコウキを失う事となる。






 原因などわからなかった。ある日ふっつりと、コウキの瞳に生気がなくなった。
 それ以来コウキは部屋に閉じこもり、寝たきりになり、どんどんと衰弱していった。リラはその様子を見て、あたふたとする事しかできなかった。
 リラには始め、何が起こったのかを理解する事ができなかった。息もかすかに、ベッドに横になっているコウキ。わからなかった。
 ただ、お日様と同じだ、そう思った。お日様と同じように、コウキは雲の中に隠れてしまう。そういう危機感。

 お日様の光が弱くなっていった時と、それは驚くほど似ていた。突然にそれはやってきて、気がつけば、もう手の施しようがなくなっている。

「コウキ…」

 リラはただ、毎日布団に横たわるコウキの手を握っていた。
 そこから流れ込んでくるコウキの温度は、光のあたたかさは、日に日に弱まっていった。それと同時に、リラの体も、どんどんと弱くなってゆく。
 今のコウキの状態では、リラにとっての光が足りないのだ。
 リラは歯噛みした。
 コウキが危険な状態だというのに、自分には何をする事もできないのだ。エネルギーがたいして動く事ができない。駆けずり回って医者を呼ぶことも、かいがいしく看護をしてあげることもできない。悔しいと思った。お日様の光を失ってからもうずいぶん経つのに、今度もまた、見ている事しかできないだなんて。今まで自分を生かしてくれた存在を失うかもしれない時に、自分はこうして黙っている。
 自分が悔しくて、情けない。

 リラは、だんだんと冷たくなってゆくコウキの手を、ぎゅっと握った。そうすると、ほんの少しだが、コウキも力を出して、リラの手を握り返してくる。
 今はただ、これだけが彼の生きているという証拠。
 とく、とく、とく、コウキの指先に流れている血液。そこから伝わってくる心臓の音は、不思議なほど弱々しかった。

「お願い…コウキがいなくなったら私、生きていけないんだ。」

 それは、恋人たちの間で用いられるロマンチックな例えではなく、もう少し切実な事実だった。
 実際、コウキの死が意味するものは、リラが糧となる光を喪失する、という事なのだ。その状態で彼女が生きてゆく事ができるのかどうかは、はなはだ怪しかった。

「コウキは…まだ見つけていないんでしょう?生きている事の答えを。なら、駄目だよ。それを見つけられるまでは、ちゃんと…」

 しかし、そのリラの願いは、通じなかったのだ。お日様の時と同じように。







 二度目の別れ。それは、いとおしいものとの二度目の別れ。

 コウキはある朝に、完全に動きを止めた。微動だにしなくなった。
 リラが声をかけても、目を動かす事すらしない。体温は完全になくなり、あの日リラのものと混ざり合った心臓の音も、もう聞こえなくなっていた。ぴったりと胸に耳を当てても、自分の血液が流れている音が聞こえるだけ。たった一人、自分の音が聞こえるだけ。

 こんなにもむなしいのが、人間の死というものなのだ。何もかもがなくなってしまうこと。リラが見てきたものとは違う。

 人間の死体からは、決して新しい命が生まれたりはしない。リラたちの死とは、まずそこのところが違っていた。身動きが取れなくなる、という事は、次の世代の始まりなのだと、少なくとも里が滅びる兆候が現れる前は思っていた。リラはそういうものとして、死を認識していた。
 これが、人間の死というものなのだ。

 まるで太陽のように、コウキは死んでいった。
 リラの光は再び、何処にもなくなった。ようやくみつけることができたと思ったのに、こんなにも簡単に、光は消えてしまった。
 明るく照らしてくれていたものはどこかへ飛び去り、リラの周りは再び、闇に包まれた。今まで光に満ちていた場所を、真っ暗いものが侵食してくる。
 じわじわとリラを取り囲み、その体をあわよくば押しつぶししてしまおうと狙っている。

 リラは泣いた。ぽろぽろと涙をこぼした。朝露のような透明な涙を、幾粒も流した。
 涙はころころと頬を転がっていって、そしてリラの葉に向かって勢いよく落ちる。その力が、リラの葉を何度も弾く。 弾かれた葉は悲しげに寂しげに揺れる。
 涙はやがて、転がる珠の形ではおさまりきれなくなったらしく、光る筋へと変化していた。その涙もやはりリラの葉に向かって落ちてゆき、それを濡らした。
 それは葉にとって、雨と同じ水であっても、気持ちの良いものではなかった。涙は、リラの渇きを癒すものではなかった。

 しかし、この涙が、コウキという人間がいなくなったために流れているものなのか、それともリラが生きるための糧となる光を失ってしまったことへのものなのか、はたまたやってきた闇に対する恐怖に対してのものなのか、それは彼女にはわからなかった。
 ただ、ただとめどもなく涙を流していた。例え、この涙が一体何故流れているのかがわかったところで、この悲しみは消えず、涙が止まる事もないのだから。そのようなことは、追及するだけ無駄というものだった。






 はじめは、こんなに悲しいものだとは思わなかった。コウキは帰ってくる、また生まれてくるのだと、無理やりにでもそう思おうとした。
 けれど、コウキは戻ってこなかった。二度とお日様の光が、リラには届かないように。





*     *     *






 誰もいない街は無表情。リラの光は何処にもなかった。暗い雲の中からもれてくるような、かすかな光ではリラは生きてゆけないのに。
 光の欠乏はそのまま、リラにとっての飢えと乾きになる。動く事が辛い。歩く事が辛い。目を開けていることもままならない。

「ねえ、リラ、光が欲しい。…さみしいよ。」

 リラは、大切に抱えている大きな鉢植えをますます強く抱きしめる。そうする事によって少しでも、あたたかさを取り戻そうとしているかのように。

「寒いよ、ねえ、リラ?」

 それは一体何処からやってきた感情なのだろう。
 光がなければ、エネルギーを作り出す事ができず、体温を保つ事ができないから、こんなにも寒いのだろうか。
 風が吹き、白いワンピースから剥き出しになっているリラの肌を突き刺す。しかし、リラの寒さは心の奥からやってくる寒さ。あの風さえも凍らせてしまう事ができそうなほどに、リラの心の中は冷たく、寒かった。

 今はもう、リラに光を与えてくれる存在はいなかった。
 リラのお日様は、みんな死に絶えてしまった。今残っているのは乱立するビルのように、無表情な人間達だけ。彼らは決して、リラの光となる事はできない。
 お日様はもう、どこにもないのだ。

「リラは光が欲しい。ほしいの…」

 立ち止まったリラのそばを、先ほどと同じ冷たい風が通り過ぎてゆく。
 風はリラの髪の毛を持ち上げて、後方に流した。鉢植えの中のリラを折り曲げてしまいそうなほどに強く、吹き付けてきた。

 しかし、リラの隣を通り過ぎてゆく、灰色の人間達は、そのような事にまったく関心を払わずに、わき目も振らずに歩いてゆく。誰もリラに話し掛けようとしない、誰もリラに目を向けようとすらしない、何の余裕も、目的も無くしてしまった人間達。
 そういう状態でない人間を知っているリラには、彼らが生きているようには思えなかった。

 だからもう、この街には、誰もいないのと同じなのだ。






 リラは、コウキを失ってから、たくさんの人間達に出会った。たくさんの人間達との出会いと別れとを、交互に繰り返した。

 その中で、リラは、人間には二つの種類があるという事を発見したのだった。多かれ少なかれ、リラにとっての光を持っている人間と、それを全くもたない人間。

 光を持たない人間は、みな同じ顔をしていた。
 何事にも関心を持たず、興味を持たない、握った瞳。自分で考えた言葉をつむごうとせず、昔誰かが言っていた言葉を繰り返すだけになってしまっている唇。誰の話をも真剣に聞こうとしない耳。かすかに流れている、空気の匂いの違いをかぎ分ける事ができない鼻。指示された事を器用にやり遂げるためだけに発達した手。まっすぐ歩いてゆく事だけを植え付けられた足。

 彼らの姿は、リラには灰色に見えた。
 それも、皆同じ、黒に近いとも白に近いともいえない灰色に。彼らの顔かたちは、灰色の陰に隠れてしまって、正確に読み取る事ができなかった。むろん、表情もわからない。
 リラには、彼ら一人一人を見分ける事などできそうになかった。
 自分の意志をもたず、何をしようともしない、そういう人間達は、リラにとっての光とはなりえなかった。なりえるはずがなかった。





*     *     *






 リラはこれまで、たくさんの人間達の光を浴びながら、命をつないできたのだ。
 強い光、弱い光、あたたかい光、優しい光、白い光、青い光、赤い光、黄色い光…。人間達の数だけ、光の種類はあった。それぞれがみな違う光を、リラに注いでくれた。
 それは、お日様の光の代わりとなるのに充分な量だった。






 一度出会っただけの人間に恋焦がれ、彼を見つけるまでは、どんな事があろうと何をしようと歩きつづける、と言い放った少女、シズカ。
 どんな事をしてでも彼を見つけ出すつもり。彼にとっては迷惑な事かもしれないけれど、それでもわたしはどうしても、もう一度彼に会いたいのよ。…そう思っていれば、いつか必ず、会えるわ。




 自分は物語をかたらなければならない、自分の中にある世界を、なんとしても形にしなくてはならないのに、それは難しい事だと言って悩んでいた男、ナギサ。
 ぼくはこのお話を語るために生まれてきたんだと、そう信じている。この話が存在する事によって、きっと誰かが救われる事があるはずなんだ。



 人の役に立ちたい、誰かの役に立ちたいのだと言って、もくもくと一人ゴミを拾っていた女の子、エリー。
 あたしはまだ小さくて、何もできないから…せめて、このくらいしか思いつかなかったんだ。あたしにできることがあったら言って欲しい。そうしたら、なんでもしてあげたいの。



 恋人と友人と間に挟まれ、苦悩していた女、ユリエ。
 私は…何があっても、彼の事も彼女のことも好きでいられる、そんな人間でありたいのよ。できる限り、二人ともを傷つけずにすむ道を探したい。探さなくっちゃいけない。



 幼なじみにひどい事を言って、喧嘩別れしたままになってしまった少年、シュン。
 あいつにあやまんなくちゃいけないんだ。おれのせいで、あいつは泣いた。本当は、ずっとあいつと一緒にいたかったのに、おれ、それを言うのが格好悪いと思って、引っ越すって言われた時、全然平気なフリしたんだ。だけどほんとは、ぜんぜん平気なんかじゃなくって…。おれ、それをどうしてもあやまりたいんだ。



 人を笑わせる事に誇りを持っていた道化師の少年、マサキ。
 笑っていれば、嫌な事も何もかも忘れられるじゃないか。俺の事笑って、そういう気分になってくれればいいのになって、いつも思ってるんだけどさ。そのためには、もっともっと頑張って、いろんな事できるようにならなくちゃ。



 死んでしまった孫の写真を持って、ベンチに座っていた老人、ヒサイチ。
 わしはまだ、どこかに希望をもっているんじゃよ。ひょっこりと孫が、おじいちゃんただいまと言って戻ってくるんじゃないかとな。これは、夢じゃよ。



 振られても何でも、好きな人がいる、その事が何よりも嬉しいのだと語った女の子、ナナミ。
 あの人のことが好きだっていうこの気持ちが恋だというのなら、わたしはきっと、いつまでだって恋しつづける。理由なんて要らないの。あなたがそこにいるというだけで、わたしはあなたの事を好きになる事ができる。それは、幸せな事でしょう?



 病気の友人のために、薬を手に入れなくてはならないと言った男、カズマ。
 いや、友人…別に親友だとか幼なじみだとか、そういう特別な存在ではないんだ。けれども、あいつが苦しんでいるのを見たらば、何かしなくちゃいけないと、失うのは嫌だと思ったんだよ。それまでは全然、気にもとめてなかったような奴だったんだ。本当だよ。



 綺麗な色を探しているといって、その所在を尋ねてきた女、リン。
 この絵の空にふさわしい色を探しているの。透明で、何処までも果てしなく広がる空を描ける色を探しているの。この絵はわたしの大切な人が、描きかけで残していったものだから、きちんと完成させたいのよ。だけど、不思議ね。この空が塗られていないかぎり、あの人はいつか私の元へ戻って来て、この絵を完成させてくれるんじゃないかって、そんな希望をもつないでしまうのよ。



 真っ暗でだだっ広い部屋の中で、そこに積み上げられたすべての本を読む事が目標だという青年、ジェイ。
 この部屋の中にある本、すべてを読み終えて、書かれていることのすべてを身に付けたとき、それが僕の完成された姿だ。だから、ここの部屋は…そうだな、僕そのものと言っても良いかもしれない。



 海を見ることを、長年の夢にしてきた少年、ユーリ。
 お母さんから聞いたんだ、昔の海は、ずっと今よりも綺麗だったって。青い色が、深く深く、人間達を底知れない世界へといざなう、怖いほど綺麗なものだったんだって。おれ、それを見てみたいと思ったんだ。



 ぼくの役目は、彼女を守る事だといった小さなナイト、イツキと、彼に手を引かれた少女、アリサ。
 ぼくは頑張っておおきくなる、そしてアリサを守る。それだけが、ぼくのやるべきことなんだ。アリサは、イツキのことが大好きだよ。だからアリサも、がんばって、イツキの好きになってくれるようなレディになるね。



 ここには大昔の家が埋まっているはずだと信じて、砂場の側を掘り返していた青年、コージ。
 僕の勘は正しいはずだ。想像してみろよ、ここで、昔々、僕らと全然違う人々が暮らしてたって、考えてみろよ。なんか、どきどきしてこないか?例え夢でもさ、一瞬の夢に終わるんでもさ、このどきどきって結構貴重だと思うんだよ。



 公園のベンチで、大きくなったお腹をなぜていた女、マーヤ。
 ほら…もう、わかるのよ、この子が動いているのが。私の中で、着実に育っていっているの。ずっと、子供のころからのあこがれだったの。こうして、お腹の中にいる自分の子供に語りかける事が。



 小さなお菓子屋さんでニコニコと笑いながら、子供達に飴玉を配っていた老女、サツキ。
 あたしゃ、嫌な事もあるけどねえ、この街がすきなんだよ。子供達があんなに楽しそうに笑ってくれる街なんて、ほかに見たことがない。



 もうすこしだけでいいから優しくなりたいと、理想を語ってくれた少女、アスカ。
 できることなら、何もかもを、この世界中の何もかもを好きだって思えるようになりたい。そして、すべてのものに、優しい目を向ける事ができる、そういう人間でありたいんだ。好きだって思ってもらえるって事は、すごくすごく心地の良い事だから、みんながみんな、お互いをそんな風に思って過ごす事ができたらいいのにな。



 リラは、彼らの一人一人のことを、今でもはっきりと思い出す事ができた。彼らからもらった光の記憶と共に。彼らの事を忘れてしまう事など、考えられなかった。
 一つ一つの言葉がリラの胸に突き刺さって離れない。
 光というのは、ひょっとしたら、人間一人一人の強い感情とでも言うべきものなのかもしれなかった。
 それは、氷のナイフのように鋭利で、透明。けれども、暖炉に燃えている炎のようにあたたかい。

 しかし、いつからだっただろう。光を持たない人間達が着実に増え始めたのは。
 それまでは光を持つ人間の方が多かったのが、いつの間にか半々になり、やがて十人に一人、百人に一人という具合に減っていったのは。何も見ていない瞳が、街の大半を占めるようになったのは。

 光輝く人間は、実際、そうでないものたちよりもずっと、死を迎えるまでが早かったのだ。
 何度もリラは、彼らが衰弱して死んでゆくのを見た。
 まるでその光は、与えられた命を燃やして発しているものでもあるかのように、彼らの生を食いつぶす。自分の命をすり減らして、彼らは輝く。しかし、それが原因で、人よりも早く死のうとも、彼らの瞳に後悔の色は見られなかった。



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