真っ白い光に照らされた舞台の上で、少女と少年が微笑んでいた。クラスメートの北沢流香と岡本和巳だ。


   ルカ  私、感情っていうものを知って、よかったと思う。
       そのことによって、自分自身にどれだけの不利益がもたらされても。
       それでも、知る価値はあったと思うの。

   カズミ ルカ、あのね、僕は多分ずっと、人間がうらやましかったんだよ。
       僕たちとは違うものを持っている人間たちの事がね。
       うらやましいなんていう感情は、今だからわかる事なんだけど。
       人間は、同じ笑うという表情でも、毎回違った顔なんだ。
       その話を聞いて、僕がどんな気分になったか。
       僕たちは笑えといわれたら、毎回同じ顔しか出来ない。
       それどころか、笑うという表情を見ても僕たちは、
       その表情を、「笑顔」という決まった形にしか認識できないんだ。
       目が細くなり、頬と唇の端が持ち上がる。
       それは「笑顔」という表情で、人間が「嬉しい」ときにするものだ。
       そういう情報がインプットされているから、僕らは笑いを認識できる。
       けど、それは、人間が他人の笑顔を見て感じるものとは、多分違うんだよ。
       ただ、そういう風にプログラムされているのにすぎない。


 その舞台袖で、一心不乱に脚本を追っている冴島数彦。私がしたように、脚本の台詞を指でなぞってゆく。
 音響効果を担当している倉橋渚が、冴島の合図で次の曲を入れた。
 その横で、出番を終えた、キャストの相原沙耶子と清水麻人が、二人芝居の続く舞台を真剣に見つめている。


   ルカ  ねえ、カズミ、私は、研究室に囚われてから、
       ずっとあなたの事を待っていたの。
       あなたが私を助けに来てくれる日だけを、ずっと待っていたのよ。
       だけど、途中で気が付いたの。
       待っているだけでは、今までと、人間の指示を待つだけだったころと、
       何も変わらないんじゃないかって。
       待っているだけなら、感情も何も植え付けられていない存在だって出来るのよ。
       けれど私は、人間の持っている感情を学んだ、恋というものを知ったはずだった。
       自分の意志でちゃんと動かなければ、
       また何も知らなかった頃に戻ってしまう、そう思ったの。

   カズミ 大丈夫だよ、ルカ。僕たちは、またこうして逢う事が出来た。
       僕たちはちゃんと、生きている。


 ゆったりとしたメロディにそって、舞台が暗くなってゆく。
 倉橋がボリュームを絞ってゆき、流れていた曲が消える。舞台上の光もそれと同時に消える。完全な暗転と共に、観客席から拍手が聞こえる。
 カーテンコールのため、舞台へ出てゆくキャストたち。
 キャストの全員が手をつないで一礼すると、ますます拍手が大きくなる。

 冴島は、先ほどまで張り詰めていた表情を緩め、私に向かって嬉しそうに笑った。





*     *     *






 目を開けると、そこは通常の地下道だった。
 永遠の循環も、奇妙な展示物もない、いつもと全く変わらない地下道。最近淡い水色に塗りかえられた壁が、天井に取り付けてある照明に照らされている。道の先には、まるで天の救いのような階段がしっかりとそびえ立っていた。
 私の隣には、冴島数彦が無防備に寝顔をさらしていた。
 目を閉じると、思っていたよりも幼くなるその顔を見ていると、サインペンか何かで目の周りに落書きしてみたい誘惑にかられる。パンダのように目をふちどったら可愛くなるだろうか。
 しかし、そんなことをしたらそれこそ烈火のごとく怒りだしそうなので、やめておくことにする。

「冴島、おーい、冴島数彦、もう起きる時間ですよー」

 私は冴島の肩を揺さぶった。

「ん…あ? 小林?」
「そ、なんか、出られたみたいよ。ほら、地下道、普通でしょう。…普通って何?とか突っ込まれても困るけど」

 冴島はきょろきょろとあたりを見回して、それから、安心したようにため息をついた。

「そっか、出られたか。」
「うん…なんか、あれでよかったみたいね」

 あんな簡単な事で外に出られるとは正直な話思っていなかった。駄目でもともとが偶然当たってしまったといった感じがする。
 冴島がすっくと立ち上がった。膝を叩いてほこりを落とす。

「こんな所に座り込んでもいられないだろ」

 そのとおりだ、と思ったので私も立ち上がる。体中に疲労がたまっているらしい。それに、冴島の話を聞いている時はひいていた空腹感が、また襲ってきた。
 私の立ち上がる動作は、少しだけぎこちないように思えた。

「外、行こうか」
「うん。」

 疲れてはいたものの、早く外界の空気が吸いたくて、がむしゃらに走った。
 今日何回繰り返したかわからない動作、階段を一段飛ばし、二段飛ばしで駆け上がる。手を振って、足を上げて駆け上がる。
 冴島の方が少し早い。男女の違いかもしれないが、それでも悔しいと思った。早く、少しでも早く、この場所から抜け出そう。
 彼に一秒かそこら遅れて、階段をのぼり終える。
 とたんに目の前に風景が広がった。狭い道に慣れた目が、久しぶりにとらえた広々とした風景。それは、もうずっと見ていなかったような気がする、北口の光景だった。
 背の高い建物がずらりと並んでいる。
 ただ、私が今日の昼に見ていた北口とひとつだけ違うことがあった。立ち並ぶ建物の背景にあるのが、真っ青な空ではなく、すっかり日の暮れた後の夜空だった事だ。
 私は腕時計を見た。針は九時十一分をさしていた。この時間だとさすがに親が心配している事だろう。
 しかし、私はもうしばらくこの夜空を見ていたいと思った。都会の空は明るすぎて、あまり星は見えない。学校で習ったような有名な星座も確認できなかった。けれど、背の高い建物の隙間から見える星空も、なかなか良いものだと思えた。



 帰ってきた。そう、強く感じた。



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