駅のホームについてからも、私達はしばらく無言だった。私と冴島の帰る方向は同じだ。私の家の最寄駅二つ手前に、冴島の降りる駅がある。
 向かいのホームから電車が出発した時に、冴島が口を開いた。

「あの時さ、夢、見たんだよ。文化祭の夢」
「え?」

 走ってゆく電車の窓に、私と彼の姿が映っている。消えてはまた映る影。

「文化祭当日、この脚本のとおりに演劇をやっている夢、見てたんだ。あいつらの名前を呼んで、気を失っている間」

 ひゅん、電車がホームを完全にぬける。それとともに巻き起こる一瞬の風が冷たかった。今日は昼でも割と過ごしやすかった代わりに、夜の気温が低いらしい。
 私は、その風のすっかり通りすぎた後、冴島の方を向いた。

「私も…似たような夢、見てたよ。多分、ラストシーンだと思うんだけど、ルカとカズミが二人で会話しているシーン。感情があるのならば、自分から動かなければ、って」

 私たちは、再び無言になった。
 あとどれくらいで次の電車が着くだろう。その電車に乗って、私たちはそれぞれの家へ帰るのだ。疲れきった体に、それは必要な事ではあったのだけれど、私は何処となく寂しいと思った。どうしてそんな風に思うのかはわからなかったが。
 私は、そんな感傷を振り切るようにして、彼に話し掛けた。

「あの、ね…私たち、北口と南口ですれ違ったけど、それって、本当に偶然に起こったミスだったのかなあ」
「と、いうと?」
「何か、ここまでいろんな事があるとさ、あの馬鹿馬鹿しいすれ違いも、必然だったような気がするんだよね。だってさ、あれがなかったら、私たち、あんな地下道に迷い込む事もなかったわけでしょ。なんか偶然とは思えなくて」
「そうだな…でも、俺にはよくわかんねえや。俺は確かに待ち合わせ場所、南口だと思ってたし、そっちも北口だと思ってたわけだろ。何でそんな事になったのか。俺がわかるのは、それこそ俺の書いた脚本の世界の事だけだよ。作者として物語を理解しているのとは、違う」
「私も…わかんない。でも、やっぱり、ただの偶然ではないような気がする」

 運命論を扱ったお話は、たくさん読んできた。
 けれど、そのどれを思い返してみても、わからなかった。そういった本を読んだとき、私はよく、自分の辿ってゆく道が初めから決まっていてたまるか、と考えていた。けれど、こういったことが起こってしまうと、わからなくなる。
 そもそも、あんなすれ違いが起こった必然性など、本当にあるのだろうか。私達があの道に迷い込んだ意味は、どこかにあるのだろうか。
 三度、二人の間に沈黙が落ちる。私はそっと冴島の顔を盗み見た。やっぱりわからなかった。
 今日の事を一体どう考えれば良いのか。珍しい経験をしたと喜んでいればいいのか、またこんな事が起こるのではないかと怯えれば良いのか、それとも時間を無駄にしたと怒れば良いのか、何故ああいう現象が起こるのかと不思議がればいいのか。気持ちの整理がつかない。
 今日という日がこれで終わってしまう事が、嬉しいような、悲しいような、辛いような、切ないような。色々な気持ちがごちゃ混ぜになっていた。

「……ったな」

 考えにふけっていたため、一瞬、冴島の言葉を聞き逃した。
「え?」
 と聞き返すと、彼は少しばかり投げやりな調子で言った。

「いや、映画結局見にいけなかったな、って言ったの」
「ああ……」

 そうだ、そもそも今日は『三角館の殺人』を見る予定だったのだ。あまりにもいろいろな事がありすぎて、すっかりと忘れてしまっていた。
 私は苦笑する。昨日はあれほど楽しみにしていたというのに、不思議な感覚だった。

「よかったら、来週にでも行かないか? 暇があったらでいいんだけどさ。何かこのままにしておくのも後味が悪いだろ」
「うん、そうだね」

 私はさっきまでとうってかわって、明るく答えた。少しだけ気分が晴れたような気がした。結局私が自分らしくもない感傷に浸っていたのは、映画を見られなかった苛立ちからだったのか、と一瞬考えた。が、すぐに否定する。そういう事ではないはずだ、多分。多分としかいえない自分が少し情けなくはある。

「じゃあさ、来週の木曜はどう? まだその頃ならやってるんでしょ。行こうよ。」

 私はすぐさま誘いかける。

「ああ、俺は大丈夫だ。そうだな、やっぱりまた一時に、H駅。今度こそ本当に北口でどうだ?」
「今度こそ北口ね。北口、間違いないよね。またあんなすれ違いするの嫌だよ」
「今度こそ、絶対に北口だ。」
「わかった。今度の木曜、午前一時H駅北口、ね。あの女の子の像があるところ。」

 あんまり何度も確認する自分達が、なんだかおかしくて、私は思わずけたけたと笑い出した。もう九時をすぎた駅にも人はちらほら見える。
 それでも私はかまわずに、笑いつづけた。





*     *     *






 木曜日の十二時三十七分、H駅の北口へと出て行った私は、すでに到着していた冴島数彦に迎えられた。やはり真っ青な空に、白いシャツが似合っていた。
 彼は、手に持っていた本から顔を上げ、私の姿を見つけると、心から安堵した表情をみせる。

「よ、小林。元気か?」
「そっちこそ。」

 お約束の挨拶を交わす。

「本当言うと、小林がここにくるまで、気が気じゃなかった。」
「何時ごろついたのよ」
「十二時二十分くらいかな」

 相変わらず冴島は早い。そんなに早く着いて何をするのか、おそらく、携えている本を読んでいたのだろう。
 私はその本のページをを覗き込んだ。新書サイズの本だ。

「化学…主に原子にまつわる雑学がいろいろ載ってる本。聞かれる前に言っておくけど、なかなか面白い。原子分子の世界だって、人間の話みたいにいろんな動きがあるからね」

 原子の本。面白いのかどうか、専門外の私にはよくわからない。小説、いやせめて文学ならば、私にもコメントをつけることが出来るのだが。
 考え込んでしまった私を見て、冴島は思いついたかのように言う。

「そうだ、小林にちょっとプレゼントがあるんだよ」
「プレゼント?」
「なかなか貴重なもんだぞー」

 冴島はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
 しかし、一体どうして冴島が私にプレゼントなどくれるのだろう。私の誕生日は四月で、とっくにすぎてしまっているし、クリスマスやバレンタインデイはまだまだ先だ。強いて言えば七夕や、敬老の日が近いのかもしれないが、それこそわけがわからない。
 困惑する私をよそに、彼は大きな鞄のなかをごそごそとあさっている。
 そういえば、私の好きな児童文学作家の新刊が、一年ぶりくらいに出たばかりだった。もしもそれだったら嬉しいのだけれど、と考えてみる。まずそれはないだろうが。もしも、この間話していた、数学の確率論にまつわる問題集なんかだったらどうしよう。もらったからには一度やってみなくてはいけないだろう。せめて現代文の問題集なら、中に載っている教材の文章が面白いのだけれど。
 しかし、意外なことに、冴島が取り出したのは、A5サイズの冊子のようなものだった。同人誌というのに近いかもしれない。
 冴島は私の手のひらの上にそれを載せた。

「これがプレゼント?」

 羽が散っているような桃色の表紙の上に、黒いインクで『待ちぼうけの姫君』と印刷されている。
 中をめくってみると、厚いタイプのトレーシングペーパーを遊び紙にしていた。
 ぺらぺらと中身を見てゆくと、見たことのある字体が、二段組で並んでいた。この間見せてもらった、冴島の脚本とまったく同じ字体だ。

「まさかこれ、自分で書いたの?」
「一週間程度で百ページ近く書くのはなかなか大変だったけどね。貴重な本だぜ? なんたって世界に二冊しかない。俺と小林の分な。」

 中身を少し読んでみる。
 小林遥が冴島数彦を待っているところから始まって、しゃべる少女の像に出会い、そして迷路のような場所に迷い込み…実際にあった出来事よりもずっとたくさんのエピソードが、その中にはつめこまれているようだった。
 心躍るような冒険のお話の数々。

「冴島、すごい……」
「なんとなく書きたくなったから書いただけだ。構成とかもきちんとしているわけじゃないから、内容は結構めちゃくちゃだと思うけど」
「それでも、すごいや…これ、どこかに発表したりしないの」
「しないつもり。自分の気持ちを整理するために書いた奴だからね」

 冴島はしごくさらっと言う。
 私は少し残念だと思いながら、世界に二冊しかない本という響きに半分酔いしれていた。冴島数彦の小説をどれだけ好きになった人間でも、この本を読むことだけは出来ないのだ。それは、活字中毒を自称する私にとっては、たまらなく切なくて、たまらなく優越感を感じることだった。
 そんな心中をごまかすように、私は言う。

「もしも冴島が人気作家になったら、この本すごく価値が出そうだね。ありがとう」
「デビューできるかどうかもわからないけれどね」

 苦笑している冴島を見ていて、急に思いついた。
 普段の自分なら絶対に口になど出さないでおくような事だったが、このときは、特別だった。ひょっとして私は、冴島の前では性格が変わるのだろうか。

「決めた。冴島、私、編集者になる。」

 冴島は一瞬ぎょっとする。私は不敵な微笑みを浮かべ、あとを続けた。

「そんで、必ず冴島の小説を世の中に出してあげる。…ううん、ベストセラーにしてみせるわよ!この小林遥にまかせなさい!活字中毒者として、どんな本が売れるのかのリサーチは完璧よ。素晴らしい本に仕立て上げてあげる!」

 わざわざ握りこぶしまで作り、力強く宣言した私に、冴島はもう耐え切れないといった様子で笑い出した。

「何笑ってんのよ、私は真剣だからね。もともと編集者っていう職業には興味もあったことだし」

 それでも彼はまだ笑いつづけている。
 いい加減にしてよ、と言おうとした時、冴島が目をこすりながら言い出した。

「そうそう、俺思いついちゃったんだけど、この話、結構余分なエピソードが入ってるんだよね。俺達の経験とは違った奴」

 それは本をめくっている間に、私も気が付いた。
 確かに、私達が実際に迷い込んだものよりも、迷路というのは複雑になっているようだったし、聞いた事のない名前もちらほらと見えた。それが余計に読むのを楽しみにさせたのだが。

「まさかとは思うんだけど、今日、残りのエピソードが現実になっちゃったりして……」

 その言葉を聞いた瞬間、私は凍りついた。
 今、何か恐ろしい事を聞いたような気がする。夏場だというのに吹雪並だ。いや、むしろ雪崩といった方がいいのかもしれない。吹き付けろブリザード!敵を凍らせろ!あまりの事に私の思考回路もおかしくなる。もともとおかしいなどと言ってはいけない。

「ちょっ…冴島、怖いこと言わないでよ。そんな、小説を書くたびにそのエピソードを現実に経験しなきゃいけない小説家と編集者なんて、そんなの嫌だよ!?」
「ははっ…一応冗談のつもりだったんだけど、冗談ですめばいいなあ」

 にやり、思い切り歯を見せて、冴島は笑う。私をからかっているのだろうか。そうに違いない。

「っ、冴島のばか!」

 私はしょってきたリュックサックで冴島に殴りかかる。もちろんある程度力は加減してだが、今回はハードカバーの本を入れてきたので、少し痛かったかもしれない。
 私の心配をよそに、彼のほうは上手くそれを受け止めると、やはり笑いながら言った。

「それじゃ担当編集者さん、『三角館の殺人』を見に行きましょうか」

 私はまだ憮然としながらも、こくりと頷いて、冴島の後をついていった。
 内心、行った先の映画館で、何か起こるのではないかという期待と不安を、半分ずつ抱えながら。





Fin.   




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