第4章



 どうしても、上手くいかなかった。何度やっても、どんな方法を試してみても、どうしても出来なかった。
 ディスプレイに表示されるのは理解不能の数値だけ。まったくわからない。
 遊歩が頭をかきむしりながらうろうろとコンピュータの前を歩きまわっていると、その肩にポン、とやわらかい手が置かれた。
「苦戦しているようね、的場君」
「チーフ?」
 声の主は遊歩たちのチーフ、加納実由だった。仕事が上手くいかずにイライラしているところを見られたとはばつが悪い。
 実由は遊歩の苦い表情にも関わらず、少し楽しげに言ってのける。
「本当に進藤君とは正反対よね。こんな簡単なエラーにも対処できない機械オンチが、一体どうやってここに入ってこられたんだか」
 そう言いながらも、実由の笑みには少しもサディスティックな印象は受けない。
 よくわからないが、何かいい事があったらしい、と遊歩は推測する。今なら、少しくらい口答えしてもしかられる事はなさそうだ。

「そんなこと言われたって、加納チーフ、今日初めて触れた機械を完璧に使いこなせるのは、進藤のヤツくらいですよ。特にこれ、扱いが難しいって言われてるPD型だし……」
「あのね、的場君。このくらいの機械は簡単に使いこなせないと、ここではやっていけないわよ? まあ、確かにあなたが筆舌に尽くしがたいほどの機械オンチだってことはこっちもわかってて雇ってるんだから、仕方ないんだけど。」
 全くもって、加納実由は無茶を言う。彼女にとって、仕事の能率というものは常に自分が基準なのだ。特別神様に機械を扱う才能を与えられたとしか思えない実由から見れば、たとえ一級のエンジニアであっても「機械オンチ」の一言で切り捨てられるだろう。
 もちろん遊歩だって、一般的に見れば機械オンチなどではない。養成学校では、他の項目はともかく技術面はずっと学年でトップだった。
 (もちろん、そのくらいのレベルでなければ、特殊型機械人形のメンテナンスなど出来ないのであるが)
 しかし、実由も自分が部下に求めているレベルが高すぎるのだという事は存分に理解しているので、多少遊歩がミスをやらかしても、言葉汚く罵るという事は無かった。
 まあ、それをタネに部下をからかう悪い癖はあったのだが。
「ちょっと貸して……ほんっとに、みんなが進藤君くらい有能だったら、わたしの仕事もずっと少なくなるんだけどなあ」
 遊歩の椅子を無理やり奪い取り、彼女は画面を見ることすらせずに、てきぱきと遊歩のエラーを訂正していった。
 やはりその仕事振りは超人的だ。タイピングは風よりも速い。こんな仕事が出来るのは、それこそ加納実由か、それとも、遊歩の同期である進藤律くらいである。

 律は、本当に、コンピュータを扱うために生まれたような人間だった。
 五歳の時には既に、特殊型機械人形の理論を学び、製作すらできるようになっていたのだから恐れ入る。
 (遊歩はその話を聞き、機械人形を作る事だけに命をかけた父を思い出した。結局、夢を果たす事の無かった父。ああ、才能とは、なんたる無情なものなのでしょう!)
 しかし、正直な話、遊歩は進藤律のことが苦手だった。
 律はあからさまに機械人形を軽蔑し、金属の塊としてしか見ない。この街で雇われている技術者だという事も忘れたように、機械人形が嫌いだといってはばからない。その点に関しても遊歩とは正反対だった。

「律みたいなやつばっかだったら、それこそまたナナたち、暴動起こしますって。機械にも人権を! とかいって」
「あははは! 本当にね!」
 実由はパン、と一度手を叩くと、勢い良く椅子から立ち上がった。大仰な身振りで、遊歩の方を振り返り、腕を広げる。
「終わったわよ! さ、的場君、これでやってごらんなさい。ちょっとは操作が楽になるようにカスタマイズもしておいたから。まあ、これでエラーが出たら、わたしの責任ね」
「チーフ……」
 初めて会ったときには、まさかこんな豪快なお姉さんだとは思ってもいなかった。そのくらい実由は近づきがたいオーラを発していたし、気圧されるほどの美人だったのだが。今思えば、あれは猫をかぶっていたのだろう。冷静に考えてみれば、このくらいの豪傑でなければここでは出世など出来ないのだ。

「そう、それからね、的場君。わたしがあなたと進藤君のこと正反対だって言ったのは、べつに機械技術のことだけじゃないのよ?」
「え?」
 意表をつかれた。
「はっきり言って、進藤君は、教師には向かない人だもの。だから、わたしたち、ナナの教育の話が出て、あなたと進藤君を組ませたの。技術面は進藤君がいれば何とかなるでしょうし、他の精神的な面は…こんな事言うとまた進藤君に機械人形に精神なんて無いとか言われそうだけど、そういう事は的場君がどうにかしてくれるんじゃないかと思って」
 あの子もね、ちょっと情緒的には不安定なトコ、あるから。
 実由は苦笑しながら付け加えた。
「チーフ」
 嬉しかった、のだろう。まだまだ未熟なところだらけの自分を、上司がここまでかってくれているのだ。
 しかし、遊歩の口からは、全く違う言葉が出てきた。
「意外と、アバウトなんですね」
「あははははは!」
 大口を開けて実由は笑う。黙っていれば妙齢の美女なのに、勿体無い。実由にとっては仕事が恋人なのだから、かまわないのだろうけど。

「それでね、今日は機械オンチの的場君に、プレゼントがあってね」
 随分本題からそれちゃったけれど。実由は少し照れくさそうに言う。
「というわけで、もういいわよ、隠れてないで入ってらっしゃい」

 隠れる?
 その言葉に遊歩が疑問を覚えた瞬間、自動ドアが静かに開いて、一人の少女が室内に入ってきた。
 それは、本当に少女という名前がふさわしい少女だった。十五、六歳だろうか。ふわふわとした金髪(金髪!そんなものは、立体テレビでしか見たことが無かった)に、大きくて潤んだ碧い瞳。ぷるんとした唇をきっと結んでいる。すっと通った鼻筋。思わず唖然としてしまうほどの美少女が、そこにはいた。確かに美形であるはずの加納実由の姿すらもくすんでしまうかのような、完璧な美少女。
「あ、プ、プレゼント!?」
 ちょっと待って下さい。こんなものプレゼントされちゃって、僕は一体どうしたらいいんですか。ねえチーフ! なんですか、この歳になって女っ気の無い僕を哀れんで? だけど、そんな、こんな、まだ中等教育終えたくらいの女の子、困りますってば! いくらチーフでもいたずらが過ぎます! だいたいこの子、どこから連れてきたんですか!? まさか!
「まさかチーフの隠し子!」
「んなわけないでしょこの馬鹿部下! わたしの年齢知ってるでしょうが!」
 すぐさま実由の鉄拳制裁。さすが有能な加納チーフ、ツッコミも完璧である。
 実由は手を打ち鳴らして、頭を押さえてうずくまっている遊歩に一瞥をくれる。
「ボケにしても、基本がなってないわよ、基本が」
 やはり豪快だ。
 しかし、そんな漫才を間近で見ても、少女は真面目くさった表情を変えなかった。どこかしら緊張しているようにも見える。

「とまあ、漫才指導は後にしておいて。的場君。この子、今日からあなたの助手だから」
「は、い?」
 遊歩はまだじんじんと熱い側頭部をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。実由の言葉が上手く理解できないのは、先ほどの鉄拳のせいだろうか。
「この子、今日から的場君の助手になるの。これで、機械オンチのあなたでも人並みに仕事ができるようになるでしょう。頑張ってね」
「メアリ・トーラスと言います。どうぞ、よろしくお願いいたします」
 少女、メアリは初めて声を出した。思いのほか甲高く、甘い声だ。
「まあ、こんな馬鹿な上司だけど、的場君の事、見捨てないでやってね」
「はい」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、この子が助手ってどういうことですか?」
 焦りながら遊歩は問う。こんな、二十歳にもならない少女が自分の助手になるなどは、実由の悪ふざけだとしか思えない。
 けれど、実由はにやりと笑う。
「この子はね、若干十五歳にしてSTCを卒業した天才少女よ。技術面ではひょっとしたら、進藤君にも勝るかもしれないわ」
「それっ、本当ですか!?」

 STC…ソウマ・テクニカル・カレッジ。遊歩などには手の届かない、エリートたちの通う学校である。毎年、受験者は後絶たないが、その入学資格はとてつもなく厳しく、しかも入学したもののうち、卒業できるのは約四分の一だという。確かにこの研究室にもSTC出身の人間はいたが、それは大体が三十代で。そこを十五歳にして卒業した、だと?
 遊歩はまじまじとメアリの顔を眺めた。このまるっきりお人形かなにかのような少女が、一種の天才であるなどと、簡単には信じられない。
「本当よ、今年採用になったの。そういうワケだから、メアリちゃんのこと、よろしくね」
 実由はそう言うと、軽やかに部屋を去っていった。問題の少女、メアリを残して。

 部屋の中は、まったく二人きりになってしまった。
「ええと、とりあえず、仕事の内容を説明なんか、しようか」
「大体の事ならば加納チーフから聞いています」
「そう」
 会話が終わってしまった。重苦しい沈黙が、二人の間にのさばっている。ぎこちない。
 しかし、メアリはやはり表情を変えなかった。どぎまぎとしているのはどうやら遊歩だけのようだ。
(なんか、愛想の無い子だな)
 完全な無表情である。これでは、こちらとしても対応のしようがない。笑ってもらえなくとも、せめて何か感情の動きが垣間見られればいいのだが……。ある意味、進藤律よりたちが悪い。

 遊歩は仕方が無く、先ほどの仕事の続きを始める事にした。
「トーラスさん、とりあえず、解析をはじめるので、準備を……」
「やめて下さい」
「はい?」
 きっぱり、メアリは拒否した。今までの調子と随分と違っていた。毅然としているというよりも、何かに怒っているといったほうが近い口調。
 しかし、相変わらず無表情のままだ。
「すみません、でも、苗字で呼ばれるの、嫌いなんです。ただメアリ、と呼んでください」
「じゃあ、メアリ…さん。仕事の準備を、お願いします」
 随分と変わった女の子だ。加納チーフ、もしかして人選を間違えた?
 しかし、そんな疑念も一瞬の事で、遊歩はさっそくキーボードを叩き、ディスプレイに多種の文字を表示させた。

 今日の仕事は、一週間前から実由に命ぜられた、ナナの全データ解析である。
 《ゼロ・シンドローム》の原因を探索するのに、通常のウイルス解析のやり方では全く埒かあかないので、すべてのデータの怪しい部分を徹底的に解析するという暴挙に出た。(実由はこの方式を『下手な鉄砲数うちゃあたる戦法』と呼んでいる)
 全データ解析にはとんでもない時間がかかる、けれど、もう他の方法が思いつかないのだと実由は一週間前にこぼした。
 すべてのデータに人間の目が通されるのだから、本来なら原因のプログラムを見逃すはずは無かった。
「もしもこれで《ゼロ・シンドローム》の原因が特定できなかったとしたら、おそらくこのウイルスは、通常の特殊型機械人形のプログラムをちょっとずつ組み合わせる事によってできているんでしょうね。そうすれば、わたしたちにはどうしたって正常なプログラムからウイルスのプログラムを分離する事が出来ない。……だとしたら、コレを作ったのは、そうとうに頭のいいヤツね」
 おそらく、全データ解析からも、それほどの成果はあげられないだろう、実由は溜め息をつきながらつけくわえた。
 しかし、ほんの一滴の可能性がある限り、遊歩たちは解析を続けなければいけないのだ。最終的には愛娘の事すらも忘れて逝った、ハルナのためにも。

 一度仕事に入ってしまえば、彼の眼には他に何も映らなくなる。
 あとはただ、ハルナのことを思ってひたすらに手を動かすだけだ。必要以上に豪快でな上司の事も、気に入らない同僚のことも、これから助手になるという謎の美少女のことも頭の中から消え去る。ナナを早く救ってやりたいという想いだけで解析を進める。

 ハルナ、君の娘は、きっと僕が救ってみせる。
 そんな遊歩を、メアリはじっと見つめていたが、やがて諦めたかのようにディスプレイに向かった。



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