第2章



 遊歩は、初めてハルナと出会った時の事を思い出す。
 あれからずいぶんと長い時がたったような気がするが、まだ十年ほどだ。確かに、今までの人生がたった二十二年間なのだから、十年というのは相対的に果てしなく長い時間といえるのだろう。
 ひょっとすると、彼自身ができるだけ早く大人になろうとしていたからこそ、時の流れをゆっくりに感じたのかもしれない。

 十年前。彼は平凡な、平凡な子供だった。
 ただ、特殊なことがあるとすれば、父親が極めつけの変人であった事と、それから、都市から見れば辺境の辺境である《コミュニティ》付近に住んでいた事だけで。



 《コミュニティ》それは、まあ、言ってしまえば一つの都市である。他よりは大きな自治権をもつ都市。
 しかし、《コミュニティ》の近くに家を構えようとするような酔狂な人間は、なかなかいなかった。なぜならば、そこは、世界中でおそらく一番初めに立ち上げられた、機械人形たちによる自治都市であったから。



 機械人形についても説明が必要だろう。人間の形を模した機械たちである。
 かれらはこう呼ばれることを嫌うのだが、ようするに、アンドロイドのことだ。
 遊歩の父親が生まれる少し前に、第一次機械人形ブームとでもいうものが起こり、それまで一部の好事家たちだけのものであった機械人形が大量に売り出され、また、その技術は大幅に進歩した。
 今では、彼らは適切な言葉を話すどころか、まるで本当に感情があるかと思われるような行動をする。いくつもの笑いのパターンを使い分けることだって、皮肉に対して腹を立てなおかつそれを我慢することだってできるようになった。
 表面にかぶせられた合成樹脂によって、肌は人間に近い質感をもつ。食事をすることもできるのだ。

 そんな中で、科学者――今では『狂』科学者といわれることが多いが――の柚木賢二博士が、実験と称し、新しいタイプの機械人形を世に送り出した。
 それが、いわゆる《特殊型機械人形》のプロトタイプだった。それは、開発者の柚木博士の名前をとって、UZE-01と名付けられた。

 《特殊型機械人形》の特徴のひとつとして、自らの子供を造ることができるという事があげられる。
 しかもその子供には、まるで人間のように、両親の特徴を遺伝させる事ができるのだ。
 《特殊型機械人形》は体内に、遺伝情報を書き込んだXチップ、Yチップをもっており、それを組み合わせ子供の体に埋めこむことによって、人間の受精と同じ効果をあげる。
 また、子供は生まれた時にはまだ不完全であり、約三年半にわたって《教育》する事によって、大人と同じだけの能力を持つようになる。《教育》は基本的にランダムに行われる。

 その他、できる限り人間に近づけるというコンセプトに基づいて、彼らは造られた。
 そこまでだったならば、それは偉大な発明というだけで終わってしまっていただろう。
 生物と似た遺伝システムを持つ機械。それは確かに、前人未到の境地だ。

 しかし、彼らは、そこにとどまらなかった。《特殊型機械人形》には、もう一つの重大な特徴があった。
 彼らには、機械と人間は全く違う存在であるという大原則が、プログラムに刻み込まれていなかったのだ。

 すべての機械は、人間が、自分達の生活をより便利にするために作り出したものである。機械が人間と同列に扱われるはずなどないのだ。
 しかし、《特殊型機械人形》はそれを教えられなかった。
 おそらくは、完全に人間に模した機械を作るために、あえてその点はプログラミングされなかったのだろうが。
 柚木博士は、そんな些細な事が、後にこの国の歴史に残る重大事件を引き起こすとは、露ほどにも考えていなかったに違いない。

 人間と機械との違いを認識していない。そこから引き起こされる問題点は多々あるが、中でも最大のものが、彼らには人間に危害を加えることができるという事であった。
 普通、例えそれが戦闘タイプのものであっても、機械人形たちは、主人の命令がなければ、人間に攻撃することはできないように設計されていた。
 例えば戦場で、敵兵の残党を偶然に見つけたとしよう。その場合でも、機械人形は上官に通信を送り、その指示を仰がねばならない。勝手な行動が許されていない、というよりも、できないのだ。
 もしも指示に逆らい、機械人形が人間に危害を加えようとしたならば、かれの体内にある安全装置が起動し、その場で彼を凍結させる。
 この機能は、主に都市管理コンピュータの技術から応用されたものである。
 例えば都市の人口が限界に達し、これ以上の人数を養う事は、現状の食物生産量から見て不可能だという判断が下された時。この場合、食料増産などの手も考えられるが、最も手っ取り早いのは、人間の間引きである。
 コンピュータは、至上命令である都市の存続のためならば、どんなむごい政策も出してしまうだろう。それがむごいという事もわからずに。
 そのような事態を避けるために、科学者たちは試行錯誤を重ね、そして、コンピュータの能力にある種の制限をかけることに成功したのだ。

 しかし、柚木博士の製作した特殊型機械人形には、その制限が無かった。
 ゆえに、完璧な人間らしさに惹かれてそれを購入した客からは、「少し無理な命令をくだしたら殴られた」「奴隷のように扱うなといってストライキに入った」などの苦情が殺到した。
 しかし、とうの機械人形たちは、「機械にも人権はあるはずだ」などと、聞く耳を持たなかった。

 「機械」と「人権」。その二つの言葉は、あまりにもかけ離れていた。ネコとモールス信号だとか、ヒマワリと電卓だとか、そのくらいかけ離れたものだった。
 しかし、《特殊型機械人形》たちは、平気でそれを主張し始めたのだ。機械にも人権はある、と。
 機械ならば「機械権」とでもいうのではないか、というジョークが流行ったが、そんな問題ではない。
 《特殊型機械人形》が求めているのは、人間と同等の権利だったのだ。奴隷のように扱われる事無く、生命の安全が保証され、ある程度自由でいられる権利。



 そして、自らを人間と同じものとみなす機械たちは、とうとう、その権利を求め……蜂起したのだ。


 
 それは、確かに一地方…現在の《コミュニティ》が存在するあたりのみではあったが、確かに戦争だった。
 機械たちによる独立戦争。前例などどこにもない、機械の反乱。

 政府は戸惑った。並の人間では彼らに太刀打ちできない。細菌兵器も意味がない。核兵器など使えば、こちらに要らぬ被害が増えるだけだ。
 仕方なく人間側は、いたってノーマルな戦闘機械人形で応戦した。
 機械と機械の戦いは確かに白熱し、立体テレビの前の人間達を興奮させた。罪の無い子供達は、兵器の散らす火花をながめ、手を叩いて喜んだ。
 最新型の自動撮影機械が激戦区へ次々と派遣された。
 それは、確かに戦争であるはずなのに、どこかお祭騒ぎのようでもあった。
 なんといっても、機械人形同士が戦っている限り、人間に被害がおよぶ心配はなかったのだ。
 時が経つにつれて、人類史上最大の事件となるはずだったこの反乱は、安っぽいエンターテインメントとなっていった。
 それが一体何のための戦いなのか、人間達の誰にもわからなかった。

 その反乱は、五年程続き、終わった。
 人間側が折れたのだ。戦力が足りなくなったわけではない。一時期の熱狂も冷め、ただ、これ以上戦いを続けていくのが馬鹿馬鹿しくなってきただけのことだ。
 平和条約を結ぶ際に、特殊型機械人形たちが要求したことはたったひとつだった。
 それが、《コミュニティ》――機械人形たちだけが、自らの手によって治める都市、機械の権利が認められる都市を設立するという事だった。
 人間達にとっても、それはちょうどいい条件だった。危険な《特殊型機械人形》を自然に隔離できる。
 これ以上戦争を続けていくデメリットを考えれば、一つの都市を造ることなど、むしろ安上がりだった。

 そして、《特殊型機械人形》たちはすべて《コミュニティ》に移住し、人間達には、《特殊型機械人形》への理不尽な差別だけが残った。



 とにかく、遊歩は《コミュニティ》の近くに住んでいた。
 住所を見るだけで、人々はそこがどんな場所なのかを知り、そして、不審のまなざしを向けてきた。
 遊歩の家がある付近には、遠距離散歩と称して、《コミュニティ》内の機械人形たちがやってくる事もあるのだ。

 特殊型機械人形! そんなものに近づくなど、なんと酔狂な! いつなんどき彼らが反旗をひるがえすか、わかったものじゃない。

 そういう薄気味悪い場所に住んでいるという事実だけで、遊歩はだいぶ苦労した。
 それは、いつもイジメの材料を探している子供達の格好の標的になりえたのだ。

「お前もあのロボットたちの仲間なんだろう?」「お前がロボットと仲良く手をつないで街を歩いてたっていってた奴がいるんだけどさー」「おい、ロボ、なにか言ったらどうなんだ」「だめだよ、こいつキカイだから、なんもわかんねえよ」

 ロボットというのは、その時期、機械人形たちに対する蔑称となっていた。
 それは「労働者」という語源を持つ。自らの意志をもち、自らのために行動する彼らが聞いたら、一斉に怒りの声をあげるであろう呼称。
 しかし遊歩は、そんな蔑称に言い返すこともできなかった。《コミュニティ》のそばに住んでいるなどという事は、確かに異常なのだから。

 反乱以来、機械が憎まれているという事はなかった。人間達は今までのように、コンピュータに管理された環境の中で暮らしていたし、家の中には機械人形が一体や二体いるほうが普通だった。もちろん、柚木型ではないごく普通の機械人形だ。
 ただし、彼らの扱いは、お世辞にもいいとはいえなかった。露骨にさげすむという事は無いまでも、《機械人形》というのは自分達人間よりも一段劣った存在なのだという共通の認識がはびこっていた。

 そんな中で《コミュニティ》というのは、不気味な存在だった。《特殊型機械人形》を未だに怖がっている人間も多い。
 一度反乱を起こしたのだから、またいつ暴走して攻めてくるかわからない。それに、機械だけが動いている街、その言葉には、どうしても暗い、生気のないイメージがつきまとっていた。そんな場所の近くに家を構えるなど、まさしく変人の所業だろう。



 遊歩は、自分を不幸だと思っていた。遊歩には母親がいない。
 まあ確かに、遺伝子操作が合法であるこの時代、伴侶なしに子供を持つということも多かったから、それ自体は全く不幸でもなんでもない。現に、遊歩のクラスの半数以上は片親で、うち何割かはまったく親をもたないのだから。

 問題は、遊歩の父親が極めておかしな、常識はずれの、そして愚かな人間だったことなのだ。

 父は、遊歩と一ヶ月に一遍ほどしか顔を合わせない。たいていは、自分でつくった粗末な研究室にこもりきりである。
 《コミュニティ》のそばなどという場所に家を建てたのも、ひとけの無い土地であれば、広い研究室が建てられるだろうという理由と……そして、《特殊型機械人形》を間近で見られるほうが自分の研究に都合がよいだろうということだった。
 彼の研究、それは、《特殊型機械人形》の改良。いや、改良というよりも、自分の理想とする人形を、いちから作り直すこと。



 遊歩がまだ小さい時に、話してくれた事がある。

「父さんは、昔、とてもとても綺麗な人に会ったことがあるんだ。髪が長くて、瞳がきらきらと光っていて……ひとめで、恋に落ちた。恋…まだ遊歩にはわからないかな…。とにかく、素敵な人だったんだ。ユーナっていってね、近くの富豪の家で働いているということだった。父さんたちは、言葉を交わして…そして、次に会う約束をした。」

「でもね、遊歩。彼女は特殊型機械人形だっていう事を、友達に聞かされたんだ。おどろいたよ、彼女はまったく人間そっくりだったんだからね。だからこそ、特殊型なんだけれど。」

「父さんは悩んだ。悩んで、悩んで、結局、約束の場所へ行く事ができなかった。その頃はちょうど、特殊型機械人形への反感が強かった頃だったからね」

「それからすぐに、あの反乱が始まった。それ以来、彼女に会う事はなかった。彼女がどうなったのか、わからない。戦いの中で死んでしまったのかもしれないし、今も《コミュニティ》で暮らしているのかもしれない」

「反乱が終結して、父さんは、どこかにいるのかもしれない彼女を探すよりも、もっといい方法を思いついた。彼女は機械人形なのだから、人間が造ったものだ。ならば、父さんにもつくる事ができるかもしれないって、思ったんだよ」

「だから、父さんは、こんな研究室を建てて、日々、彼女をつくりあげようとしているんだ。彼女は…やっぱりわたしの最愛の人だった。わかるね、遊歩。」

「遊歩、お前の顔も、彼女に似せてあるんだよ。そういう風に生命管理局にお願いしたからね。お前にはちゃんと母さんがいるんだ……」

 その話をしていた時の父の顔は、確かに希望に満ち溢れていた。けれど、どこか疲れた顔だった。



 遊歩の生物学的な意味での母親は、今、どこにいるのかわからない。
 父は遊歩を作るときに、生命管理局に依頼して、できるかぎりあの機械人形の顔立ちを再現できるような相手の卵子を選んでもらったのだ。
 それに、遊歩の遺伝子には、恣意的な操作がはいっている。

 けれど、父にとって、遊歩の母は、機械人形のユーナでしかありえなかった。だから、もう一度、彼女を作ろうとした。
 他の全てを忘れてしまうほどに、研究に没頭した。たった一人の息子、彼女の思い出をとどめた遊歩のことすらも、彼の頭にはほとんど残っていなかった。
 しかし、もともと彼は機械人形の技術者になろうとして、まったく歯が立たなかった人間だった。その研究の成果は想像がつくだろう。
 彼は、ひたむきと言ってもいい姿勢で研究を続けたが、結局、愛する者の顔を造形することすらできなかった。

 そんな父親の事を、遊歩はどうしても理解できなかった。理解したいとも思わなかった。
 一人で食事をする事を寂しいとも思わなかったし、母親がほしいとも思わなかった。



 ごく普通のいじめられっこならば、半年も我慢すれば、その矛先は別の子供に移る。けれども遊歩へのいじめは、いつまでたっても終わらなかった。
 いじめっ子達は、遊歩の母親が「ロボット」であるということは知らなかった。それでも、遊歩はいじめられ続けた。
 「ロボットの街に住んでいる」という事は、それだけで、完全な異端だった。おそらくは子供達だけでなく、大人にとっても。

 ひょっとしたら、彼らは怖かったのかもしれない。何を考えているのか分からない、機械人形という存在。そして、自分達のクラスメートでありながら、気味の悪いものの近くにいる遊歩のことが。
 だからこそ、彼らは遊歩を、口汚く罵ったのかもしれない。

「どうせお前はロボットなんだ」「ロボットのくせになんにもできないできそこないだ」「あの変人がお前を造ったんだろ?やっぱりな、どうりで性能が悪いわけだな」「お前は機械だ、命令されなきゃ動けない機械だ」「ほらほら、ロボットなんだからちゃんとマスターの命令をきかなきゃだめだろう、まずはここんとこで土下座してみろよ」

 同級の少年達に嘲笑われるたびに、遊歩は心の中で父親をののしった。ばかげた選択しかできなかった父親を、ののしった。
 いじめっ子たちに反論する事はできなかった。もちろん、遊歩の体は機械などではないのだが、自分が人間と機械の間に生まれたようなものだというのは、事実だったから。



 初等教育を終えた日。遊歩は晴れやかな気分で家路を急いでいた。
 集団生活の技量を育むという意味を持つ初等教育さえ終われば、それ以降の中等、高等教育は、家の中のコンピュータを使って受ける事ができるのだ。
 だから、意地悪なクラスメート達にいじめられるのも、この日が最後だった。

 それに、研究室にこもりきりの父も、この日ばかりは一緒に食事をとってくれるはずだった。
 それが嬉しいというわけでもないけれど。
 遊歩は、自分に言い訳をするように呟いた。
 家まであと五分といったところだ。

 その時だった。

「おい、的場よお」

 突然、後ろから声をかけられて、遊歩は立ちすくんだ。
 一瞬、先ほどの呟きを聞かれたのかと思った、その間が命取りだった。無理やりにどすを効かせたその声が、クラスのいじめっ子のものであることに気付くのが遅れた。
 逃げ出すにも、もう遅い。あっという間に遊歩は、数人の子供達に取り囲まれる。小柄な遊歩に比べ、皆がっしりとしていて、力も強い。
 逃れることはかなわなかった。
 そのうえ、ここはすでに《コミュニティ》に近い。めったに人など通りかからないから、助けを呼ぶこともできない。

「よぉ…元気そうじゃねえの。俺達と別れるのが寂しくないのか?なあ?」
「お前はロボットなんだから、オレから離れたら生きてけないんだよ。ロボットの生存権は、みんなマスターがにぎってんだからな。」
「そんな簡単な事もちろんわかってんだろ?いくらロボットの貧弱な頭だってさあ」

リーダー格の少年が遊歩の前髪をつかみ、自分の顔の方を向かせた。年齢の割に小さいと言われる遊歩は、その力で体を半分浮かせたような状態になる。

「な…んだよ。僕をどうする……」
「決まってんだろ? 役に立たないロボットはスクラップだ。なあ、みんな」

 彼はうしろに控えている仲間達の方を見ずに言った。仲間の子供達は、遊歩にとって、みな同じような表情にしか見えなかった。にやにやと、薄汚く笑っている。こんな奴らと同じ教室で机を並べてきたことが、遊歩にはどうしても信じられなかった。本当に、こいつらは自分と同じ教育を受けたのか?
 手始めに、といった様子で、拳が遊歩の腹に入った。そのまま吹き飛ばされ、路面に背中をしたたかに打ち付けた。「ぐっ」思わず声がもれる。

「へえ、機械にも痛覚はあるのか?」
「僕は……機械人形じゃ……」

 遊歩は声を振り絞った。けれど、口からもれるのは苦しげなうめき声だった。この程度の事で声も出せなくなる自分の肉体が恨めしいと思った。

「何言ってんだ、機械じゃなかったら、こんなトコに住むはずねえよ。こんなトコ住めんのはロボットだけだよなあ」
「それに、お前の父ちゃんも機械の研究してんだろ?」

 何度も体を踏みつけられ、転がされたあと、襟ぐりを捕まれ、引き上げられる。体が熱い。

「僕…は」

 朦朧としながらも、遊歩は手を動かし、必死に抵抗しようとしている。しかしそれは、蝶が蜘蛛の巣に引っかかってもがいているようなものだった。

「お前も案外、とうちゃんの実験体なんじゃねえの?」
「既製品のロボットですらないんだな」
「規格外だよ規格外、このできそこないが」

 ちくしょう。どうして僕はこんなところでこんな目にあわなくちゃならない?
 悔しさに翻弄される。遊歩の顔は、殴られて腫れたのと怒りとで、既に真っ赤になっていた。

 しかし、その傍らで、奇妙に冷静な遊歩が考えていた。――いじめっ子の口走った「実験体」という言葉。
 実験でもないとしたら、どうして父は自分をつくったのだろうか。
 名前も知らない機械人形の彼女を偲ぶため? それとも、他に理由があるのだろうか。
 自分は、本当に人間なのだろうか?

 それは、理不尽な暴力に抵抗している遊歩とは、全く別に湧き上がってきたものだった。
 そのことを考える頭の中は、奇妙に透明で、疑問の言葉だけがきっちりと列をなして並んでいた。

 そもそも、遊歩には自信がないのだ。
 自分は、本当に機械じゃないのか。自分は人間だといえるのか。

 胸の奥でくすぶりつづけてきたその疑問。見てみぬふりをしてきたその疑問。
 心の奥底に封印されていたそれは、彼の気付かない間に力をつけていたらしい。今にも彼を飲み込んでしまいそうなほどに膨れ上がる。
 心の表層に、不安が浮かびあがってくる。いくつも、いくつも。
 ひとつ殴られるたびに、ひとつ。遊歩の心を埋め尽くしてゆく。

 人間?機械と人間のあいの子?父親は人間。母親はいない。僕は誰?
 どうして父さんは、僕をつくったのだろうか。
 僕は本当に、人間なのだろうか。

 その間にも、確かにいじめっ子達の攻撃は続いていた。

「おら、もう一発」

 頬にきつい一撃が入る。遊歩はその場に倒れ込んだ。
 どうにか立ち上がろうとするが、手をかすかに動かす事も難しい。卒業式のための正装に包まれた胸だけが、速く上下していた。

「もう終わりか?つまんねえの」
「じゃあな、ロボ。もう二度と会う事もねえだろう」
「それとも、あの世で再会かな」

 最後に、もう動けない遊歩の体を一蹴りして、いじめっ子達は笑いながら、その場から、走り去っていった。
 その様子は、一仕事終えたあとの兵士にも見えたし、一刻も早くお化け屋敷から逃げ出そうとしている子供のようにも見えた。



 前時代的なアスファルトが、頬を冷たく冷やす。それは、殴られて腫れた頬にとっては心地よいものであるはずだったが、今の彼には屈辱的だとしか感じられない。今時、アスファルトで舗装されただけの道など、この付近にしかない。大都市の道には人々の目を休ませようと緑が投影されていたし、学校のある通りだって、転んでも怪我をしないように特殊なコーティングがされている。剥き出しのアスファルトが、彼のやわらかい心をさいなんでいた。
 長い間そのままの姿勢で転がっていると、本当に自分が機械になってしまったような感じがする。壊れた機械人形。やがて回収されてスクラップになる。このまま自分が壊れてしまえば、業者が回収して、再利用でもなんでもしてくれるのだろうか。遊歩は自嘲気味に笑った。

 何を考えているんだ、自分は機械じゃない。スクラップなんかにはならない。

 けれど、本当にそう言えるのか、不安だった。
 回収センターに運ばれて、大きなハンマーで細かく砕かれて、熱されて、溶かされて、固められて。そんな事はない。本当に?

 不安になる必要など無いはずだ。全く無いはずなのだ。なのに、この不安は一体どこからくる?

 僕が確かに人間であると、どうやったら証明できる。人間と機械の境目はどこだ。
 感情のあるなし? そんなあやふやなもの、どうにもならない。きちんと計器ではかることができるものでないといけないのだ。
 涙をみせる機械人形もいる。大声で笑う機械人形もいる。たとえ感情自体が存在しなくとも、プログラミングさえすれば、あるように見せかけることはできるのだ。そんな曖昧な基準では信用してもらえない。
 機械ならば、人間の命令にうなずくだけ。いや、違う。そんな機械は、ずっとずっと昔の機械だ。今は人間よりも的確な判断ができる機械もたくさん存在する。それに、もしも機械が人間の命令に従うしかできないのならば、何故あの反乱が起こるのだ。
 あとは、そうだ。体の構成物質の違い。人間は大方のところタンパク質でできているし、機械は基本的に金属だ。
 タンパク質と金属、その違いは明確に存在する。

 遊歩は、急に口の中に、血の味を感じた。これが、人間である証となりえるんだろうか。そうだな、血を流す機械の話など、聞いた事が無い。あのどす黒い色が、生命を保証してくれるのかもしれない。機械には無い、命というもの、魂というものを。
 しっかりと地面に手をつき、体をゆっくりと、ゆっくりと起こす。
 腹と、頬と、後頭部とが特に痛んだ。その部位に手を当てる。
 しかし、そこは大きく晴れ上がっているだけで、血は流れていなかった。
 駄目だ、これではまだ駄目だ。まだ足りない。自分が人間であると、確信を持つにはまだ足りない。むしょうに、あの赤い色を見たかった。
 赤血球、白血球に血小板、前に基礎生物の授業で習った血液の組成。
 自分の血の色を確認したかった。動脈を切れば流れるのは生き物の血液であり、けして液体燃料や導線などではない事を、何よりも自分に見せ付けてやりたかった。

 がこん、がこん。遊歩は壁に手をついて、その頭をぶつけ始めた。
 何をしているのかはわからない。ただ。自分の血の色だけを求める。
 新しく生まれた傷の痛みなどは感じなかった。ただ、先ほど殴られた腹と頬とが奇妙に痛んでいた。
 生ぬるくどろりとした液体が髪の毛を濡らしていくのがわかった。
 それは赤い色だ。茶色い液体燃料などではなく。そう信じようとしながらも、遊歩はまだ不安だった。

 ほとばしれ、真っ赤な血液。命の証。人間である証。
 遊歩は願った。望んだ、叫んだ、懇願した。
 誰か。僕が人間であると言ってくれ。

 視界の片隅に、赤い液体が見えたような気がした。
 遊歩はほっとしたように、壁についた手の力を抜き、そして、その場に崩れ落ちた。



 彼が次に目覚めたのは、見たことも無い部屋の中だった。自分の家とも、父の研究室とも、学校とも違う。強いて言うならば、修学旅行の時に泊まった宿の中が近かった。ここは、それよりもずっと殺風景だったが。
 真っ白い壁に、真っ白い棚、真っ白いシーツ。
 装飾らしいものといえば、おとなしめの花瓶に入った花たち――最近開発された、綿雲まじりの青空を写した薔薇のスカイブルーコーラスや、カスミソウの変種のマジカルソーダ、ムーンボウファンタジーなど――くらいのものだ。それらの花束の色彩が、真っ白い背景の中で異彩を放っている。
 体を起こしてみようとすると、頭が痛んだ。どくんどくんと、後頭部が脈を打っているのがわかる。それとまったく同じ周期で、痛みは遊歩の頭を直撃した。
 思わず、頭に手をやる。どうやら、包帯のようなものが巻きついているらしい。よく見ると、腹のあたりにも同じように包帯が巻かれている。
 一体、誰がこのようなことをしてくれたのだろう。それに、ここはどこなのだろう。おおかた、病院か何かだろうが。

 そう考えた瞬間に、ドアが開いた。
 遊歩の予想はあたっていたようで、入ってきた女は真っ白い服とナースキャップを身に付け、患者の情報が表示される携帯端末を腕につけていた。

「目が覚めましたね。包帯をとりかえましょう」
 看護婦は、張り付いた笑顔を崩す事なく言った。今まで眠っていた患者が起き上がっているというのに、全く、眉一つ動かすことなく。

「……あのぉ」
 声を出すと、頭の中に響いて少し痛かったが、我慢できる程度だった。遊歩は先ほどから疑問に感じていたことをたずねようとする。

「あの、ここはどこですか? 僕は一体どうなったんですか?」
「ここですか、ここは《境界》である総合センターの医療セクションです。あなたは頭から血を流していた所を運ばれてきたのです」
「《境界》?」
そんな言葉を、遊歩は全くもって聞いたことが無かった。
「ええ、《境界》です。わたくし達はめったに《境界》の外側に出ることはありませんし、あなた方が《境界》よりも内側に入ることは禁止されています。」

 看護婦はそれだけで説明を終えたつもりらしいが、遊歩にとっては何が何だかまったくわからなかった
 てきぱきと看護婦は包帯を取り替えていく。
 こんな大きな怪我は今までした事が無かったので、妙にくすぐったかった。それと同じくらい、傷は痛んだが。

「で、僕は一体どうなったんです?」
「ですから、頭から血を流して倒れていたのですわ」
 ひょっとしたら、看護婦はそれ以上の情報を与えられていないのかもしれない。

 それにしても彼女は全く表情を変えない。古いガーゼをとり、新しいものに換え、そして包帯を手にとる。
 そういう風に訓練されているからなのだろうが、ほんの少しだけ気味が悪かった。
 看護婦が頭の包帯を巻きなおし終わり、腹の包帯をその手に巻きとり始めたとき。

 ドアが勢いよく開く音と同時に、
「あの患者さん気がついたって本当ですかっ!?」
 女の声が部屋に飛び込んだ。

 開かれたドアをおさえ、立っていたのは、長身で、長い髪を一本の三つ編みにまとめた女だった。
 こちらは看護婦などではないようで、落ち着いた色合いの緑のワンピースを着ていた。肩幅より広いくらいに開いた足が、すらりと伸びている。

 と、遊歩は闖入者を観察していたのだが、彼女は
「し、失礼しました!」
 と言ってそのままドアを閉めてしまった。心なしか、顔が赤くなっていたように見えた。

「あの、今の人は……」
 どうみても、看護婦には見えなかった。首をかしげて言う遊歩に、看護婦は作業を続けながら、笑顔で答える。やはり、何にも動じないようにしつけられているらしい。
「今の人が、あなたをここに運んできてくれたのですよ。ほら、できました。」
「ありがとうございます」
「ハルナさん、入ってきていいですよ」
 看護婦は、つかつかと歩いてドアを少しだけ開き、先ほどの女に呼びかけた。
「あっ、あの、でも包帯が……」
 ドアの隙間から、躊躇する声がもれ聞こえる。
「包帯なら、もう終わりましたよ。ですから、どうぞお入りになってください。わたくしはもう出てゆきますので」
 看護婦は彼女に一度会釈すると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
 ハルナという名前らしい女は、先ほどの勢いなど忘れたように、ためらいがちにドアを開ける。
「…どうぞ、入ってください」
 遊歩は言った。さすがにそのくらいの礼儀は、初等教育を終えたばかりの遊歩でも身についている。
 もっとも、クラスメートたちにはそのような最低限のこともできない奴が多かったのだが。

 ハルナはささっと中へと入り、ドアを後ろ手に閉めた。
 二十五、六歳だろうか、と遊歩は考える。化粧っけはまるでなく、少し幼い表情をしているが、顔立ち自体は大人びている。遊歩の担任だった教師がちょうど同じくらいの年齢だった。

「どうも、助けてくださってありがとうございます」
 立ち上がるのはまだ少し辛かったので、ベッドの上で体を起こしたまま礼をした。ハルナは慌てて、
「いいのよ、お礼なんて。たまたま通りかかったところに倒れていたから、病院に運んでいっただけのことで、お礼を言われるほどのことじゃないわ。当然のことをしただけだもの」
 ね、とハルナは微笑んだ。
 しかし、遊歩はその言葉に違和感を覚えた。たまたま通りかかったと彼女は言ったが、自分が連れて行かれたのはたまたま通りかかれるような場所ではない。《コミュニティ》の近くだというだけで、皆が避けるような場所なのだ。
 だからこそ、いじめっこたちはそこで遊歩を襲った。誰にも目撃される事が無いように。

 遊歩の疑問に、ハルナは気付かずに話しつづけた。
「ああ、でもよかったわ。あんなにたくさん、血を流していたから…もう動けなくなってしまうかと心配していたの。さすがね、ここの医療セクションのシステムは一番といわれるだけあるわ」
「あのっ、それで、ここは一体どこなんですか?」
 遊歩は医療セクションという言葉が出たのをきっかけに、その質問を切り出した。今聞かなければ、また曖昧なままにされてしまいそうな気がした。
「あら、看護婦さんに聞かなかった?」
「聞いたんですけど、なんかよくわからなくて。境界とか言ってたんですけど何のことだかさっぱり」
 一瞬ハルナは困った表情をした。
「…仕方ない、か。看護婦さんたちは医療技術を中心に教育されているわけだし。…わかった、私が教えてあげる。けど、あんまり驚かないでね」
 ハルナは長袖のシャツをまくり上げた。
 それを見て、遊歩は頭を殴られたような衝撃を受けた。彼女の腕には、「GKP-7.3」という文字が、黒く刻み込まれていた。
 二の腕にかかれた製造番号、それは。
「お、お姉さん…それ…機械人形!?」
「そう。それも、特殊型のね」
 遊歩は思わずあとじさろうとして、できなかった。
 なんといってもここはベッドの上で、しかも動こうとすると体が痛む。
「じゃ、じゃあここは、《コミュニティ》の中…」
 遊歩の顔からどんどんと血の気が引いてゆく。ハルナはそれに気付かないように淡々と話を続けてくる。
「正確には、《コミュニティ》とその外側との境界になっている、総合センターの中だけどね」
「違う! 僕は人間だ!機械じゃない!」
 遊歩は叫んだ。目の前にいじめっ子達の顔が甦ってくる。

 お前は機械だできそこないのロボットだこっちくんなよこっちは人間サマの世界なんだよ死ねよいや壊れてしまえよお前なんか誰も必要としていないんだよいるだけで迷惑がかかるんだよ機械なんか誰も愛してくれやしないんだ残念だなお前を助けようとする人間なんてどこにもいないよはやくいなくなってしまえ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。僕は人間だ、君たちの仲間だホラ見てくれよちゃんと血だって流れてるんだよ!

 遊歩は体の痛みなどどこかへ置いてきてしまったかのようにすばやく立ち上がり、ハルナを突き飛ばして、ドアに体当りした。
 何度も体をぶつけようとする。

「うわあああああっ!!」
「ちょっとあんた!落ち着きなさい!看護婦さんが聞きつけたら…」
 ハルナは、突然興奮状態に陥ってしまった遊歩を取り押さえようとする。
 しかし、彼はとまらない。自分の体をひたすら壁へと打ちつける。

 僕は、人間だ。人間なんだ、絶対に機械なんかじゃない。
 ただ、父さんがおかしいだけなんだ。《コミュニティ》のそばに住んでいる、それだけなんだ。
 ただそれだけで、断じて機械なんかじゃない。機械なんかじゃないんだ、だから!

「やめなさい! やめなさいってば、傷が開くよ!」
 その言葉のとおり、取り替えられたばかりの白い包帯には、赤い血がにじみ始めていた。
 しかし遊歩はそんなことには頓着しない。気付かない。

「駄目よ!」
「離せ! 僕は人間だ! 人間なんだ! こんな場所にいたら…いたら、機械になってしまう!ロボットにされちゃうんだ!」

 ハルナの表情が変わった。
 ぐいっ。遊歩の顔を無理矢理自分の方を向かせ、その頬を平手打ちにする。

「!?」

 じん、という衝撃が遊歩の目を覚ました。まばたきをして、頬を押さえる。熱かった。
 ハルナはその前に仁王立ちになっていた。

「あなた、さすがにそれは失礼よ。あやまりなさい」
「え……」
「あやまりなさい、といったでしょう」
 ハルナの表情は、恐ろしく、しかしどこか寂しげだった。遊歩はその奇妙な迫力におされて、思わず頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……」
「OK」
 そして、ハルナはにこりと笑うと、遊歩の体をささえ、ベッドに腰掛けさせた。自分が殴ったあたりを軽くなぜて、言った。
「それと、安心して良いわよ、あんたは確かに人間だから。それは、ここの医師たちも確認してる……というか、人間だと思ったからこそ、ここに連れてきたの」
「え?」
「ここは《境界》だと言ったでしょう。《コミュニティ》の中に人間が足を踏み入れる事は禁止されているの、知っているでしょう。でも、人間と全く関わらないという事もできないから、そのためにあるのがこの《境界》なのよ。人間は《境界》の地域までなら入ってくることが許されている。だから、政府の《コミュニティ中央管理局》だとか、《機械人形生殖サポートセンター》なんかもここにあるの。で、この病院は、境界総合センターの医療セクション。ここなら、機械人形が人間を運び込むこともできるからね……説明が足りなくて、混乱させちゃったわね、ごめんなさい」
 ハルナは深々と頭を下げた。先ほどの自分の謝り方を思い出して、少しばかり恥ずかしくなる。
 遊歩は慌ててたずねた。
「あのっ、でもハルナさんは、どうしてあんなところ歩いてたんですか。あそこは、《境界》の中でも無いのに」
「私達は、届け出さえ出せば、一応《コミュニティ》の外へ出てもいい事になっているのよ。もともと《コミュニティ》っていうのは、人間の中で暮らしていきにくかった特殊型機械人形の避難所として作られた場所だったから、出て行くのは比較的自由なの。自分達の権利を侵害されないために、人間の立ち入りには厳しいけれどね」
「そう、なんですか……」
 遊歩は、ベッドに体を横たえた。妙に疲れていた。
 大きな怪我の治療中で、しかも暴れたばかりなのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。

 そんな遊歩の様子を見て、ハルナはくすりと笑う。
「どこか、痛むかな?」
「……体中が痛いです」
 もちろん自業自得という奴だけれど。
 遊歩が正直に答えると、彼女は、あはははは!と大きな声を出して笑った。
 先ほどまでどこか大人びた表情をしていたハルナだったが、このような笑い方をすると、ぐっと幼く見えた。
 はじめにドアを開けたときの、ばつの悪そうな顔もそうだったな、と遊歩は思う。

「自分の体は、大事にしなさいよ。私達と違って、人間はもろいんだからね」
「はい……」
「全く……人間と機械の区別なんか、簡単につくでしょうに。そんなに心配しなくても、あんたは人間よ。どこからどう見ても」
「そう、ですか?」
 そんな事を言ってもらったのは、初めてだった。
 ずっとずっと、機械だロボットだといっていじめられてきた。
 ただ、《コミュニティ》の近くに住んでいたという事と、父親が機械狂の変人だったというだけのことで。
 またいじめっ子達の言った言葉が浮かんでくる。不安感が首をもたげてくる。しかし、今度は取り乱すわけにはいかない。もうハルナを怒らせたくなかったし、それ以上に、悲しませたくなかった。

 遊歩は、目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせた。

「だって、僕は、機械と人間とのあいの子なんです」
「何、それ。あいの子って」
「僕は、遺伝子操作で生まれたんです。父さんが、惚れていた機械人形との子供を作ったらどんな風になるのかをシミュレートして、その通りに生命管理局に依頼して、僕を作ってもらったんです……だから、僕は、機械と人間の子供なんです。ひょっとしたら、父さんの実験体なのかもしれない」
 言っている間に、また苦しくなってきた。あの問いがよみがえってくる。自分はどうして生まれてきたのか、不安になる。

 しかし、ハルナは、そんな遊歩の胸中を知ってか知らずか、明るい調子で言い放った。
「ばっかじゃない?」

 この一言には、さすがの遊歩も意表をつかれた。
 ゆっくりと体を痛めないように起き上がって、ハルナの目を見つめる。

「あっ…と、ごめん。馬鹿は言いすぎか。でもねえ、言っちゃうわよ。人間と機械人形の違いなんて、結局のところ、構成物質の違いなの。あんたたちはタンパク質を中心とする有機物でできてるし、私達は合成金属なんかでできてる。だから、あんたはどう見たって人間だし、私はどこをどうやっても機械人形よ。遺伝の経緯なんて、関係ない」
 ハルナは、花瓶に飾られている花に手をふれた。いとおしげになでる。
「こういう花たちは、遺伝子操作で作られたものだけれども……この子達が生きているのは、あんたにだってわかるでしょう。これを機械だなんて、馬鹿なこといわないでしょう。だから、あんただってちゃんとした人間よ」
「でも……」
 それでも、遊歩はどこか納得がいかなかった。
 それならば、どうして、自分はあんな目にあわなければいけないのだろう。どうして自分は仲間から疎外されなくてはいけないんだろう。

「いい事、教えてあげましょうか」
 ハルナは、いたずらっぽい微笑みを浮かべて、遊歩にウインクしてみせた。そのウインクに戸惑っていると、遊歩の上半身を、突然なにかあたたかいものが包む。
「う、うわっ」
 遊歩はいつの間にか、ハルナに抱きすくめられていた。
 ふわふわとした感触。顔に血がのぼるのを感じた。きっと顔は真っ赤に染まっている似のだろう。遊歩は体を離そうとするが、ハルナの力のほうが強い。
「は、離してくださいよっ」
「何いってんの。ちゃんと、この感覚を味わっておきなさい。特殊型機械人形に抱きしめられる人間なんて、滅多にいないのよ」
「そりゃ滅多にいないでしょうけどっ……」
「ねえ、私の体、ちゃんとあったかいでしょう?」
 ハルナは急に声の調子を変える。遊歩はその声で、抵抗するのをやめて、おとなしくなる。
「いい? 私の体も、ちゃんとあたたかいでしょう。私達はね、そういう風にできているの。人間や、他の生き物達と全く同じように生きていけるように、きちんと造られているのよ」
 本当だった。ハルナの体は確かに、遊歩と同じくらいに温かった。
 こんなぬくもりは、遊歩の記憶には無い。唯一それに近いと思われるのは、幼い頃父親に抱き上げてもらった記憶。しかし、父親の手は武骨でどこか堅かった。学校に通う年になってからは、またも研究漬けの生活に戻り、そんなこともなくなってしまったが。
 やわらかくあたたかい腕に包まれた事など、無いに等しかった。

「わかってもらえるか、ちょっと不安だけれども…言うわね。私達も、機械だけれど、ちゃんと生きているの。ただ、ちょっとだけ、生きてゆくしくみと、体を構成しているものが違うだけ。私は確かに、自分が特殊型機械人形であることに誇りを持っているけれど、例え私が人間であったとしても私は私よ。みんな、そう。どんな生き物の形であっても、生きている限り、私は私よ」

 生きている。
 その言葉は、遊歩にとって何か大切な呪文のように聞こえた。
 ハルナのやわらかな温度に包まれて、世界がぐるぐるとまわっているようだった。

「だから、大丈夫、あなたは…えっと…名前聞いてなかったね」
「的場遊歩、です」
「遊歩君、あなたはどんな生き物であっても、遊歩君自身なのよ。だから、大丈夫。他人にどんな事を言われたって、そんなのどうでもいいことなのよ。分類なんていうのは、本当に些細なことなの。遊歩君が生きているって事のほうがずっと大事。そう、納得できなくても、わからなくてもいいから、覚えておいてね」
 そう言うと、ハルナは遊歩から体を離した。
「あ……」
 奇妙な解放感と喪失感が同時に遊歩を襲う。
 ハルナが与えてくれたあたたかさは、まだ確かに残っていたのだが。遊歩は自分の手を見つめた。
「なあに、何か期待でもしてたの?」
「えっ」
「冗談よ」
 またしても真っ赤になった遊歩を見て、ハルナは大笑いした。
 その声は本当に無邪気な少女のようだった。こんなにころころとよく表情を変えるハルナが機械人形だなどとは、遊歩には信じがたかった。それこそ自分が機械人形だといったほうが、まだ納得できる。
 けれど、ハルナは確かに機械人形であり、遊歩は人間だった。
 そういうものなのかもしれない、と、ようやく遊歩は思った。

「よし、それじゃ、約束しようか。絶対に、もう自分の正体なんてことで不安になったりしないって」
「え?」
「約束できるなら、小指を出して」
 遊歩は言われるままに、指を出した。彼女の指示に逆らう事は、どうにもできなかった。
 ハルナはその小指に自らの小指を巻きつけ、元気よく
「やっくそっくげーんまん、うっそついたらはりせんぼんのーますっ」
 と歌った。遊歩がきょとんとしていると、
「え、知らない? 昔の人間は、約束をする時にはいつもこうしたんですって」
 と言った。それは、全くどこでも聴いたことが無い歌だった。
「本当に?」
「もちろん、ほんとうよ。何?疑う気?」
「そんなことないけどさ……」
 遊歩はいつの間にかハルナのペースにのせられていた。けれど、それはなんだか心地よかった。




 遊歩はしばらく入院を続け、その間毎日、ハルナは見舞いにやってきた。そのおかげか、遊歩はまるで退屈することなく、入院生活を終えることができた。
 退院の日には、すこしばかり痣は残っていたものの、とりあえず、痛みはひいていた。
 しかし、ようやく――実に三週間ぶりに――帰宅した遊歩を迎えたのは、精一杯豪華に作られた夕食の慣れの果てと、誰もいない部屋の冷たい空気で、机の上につっぷしている父親だった。
 ただし、とうに動かなくなり、腐食も始まっている醜い死体としての姿ではあったが。

「そんな…馬鹿な」

 遊歩の口からは、こみ上げてきた胃の中身以外、その言葉しか出てこなかった。



 それからの事は、遊歩にとってまるで早回しにした立体映像のようで、現実感の無いものだった。
 衛生局による調査では、父親の死因は過労だという。不眠不休で研究に没頭していた事があだになったらしい。遊歩がいじめっ子達に取り囲まれていた頃には既に、死亡していたのだという。

 同じく衛生局の人間によって執り行われた葬式には、ほとんど誰もやってこなかった。
 父親には親しい友人も何もない。ただ、遊歩の友達や先生が数人訪れてくれただけだった。遊歩自身はその間、ぼんやりとしていて、何も分からなかった。
 父親の遺体は、いつの間にか燃やされ、手元には小さく固められた遺骨だけが残った。

 その、白くすべやかな塊を見ているうちに、遊歩はふと、父親の研究室を覗いてみたくなった。
 ずっと鍵がかかっていて、入ることができなかった部屋、しかし、父親がこの白いものになってしまった今、邪魔をするものはもう何もない。
 遊歩は、大きな南京錠をペンチでひきちぎり、ゆっくりとその扉を開けた。

 研究室の中は雑然としていた。
 大きな台の上に造りかけのボディ、正面には古びたコンピュータ。ドリルやヤスリなどの機材が散乱しており、ケーブルや金属板が剥き出しで置いてある。
 いかにも、さびれた素人の研究室だった。
 こんな所で父が作業していたのだという事実は、遊歩を打ちのめした。
 こんなところで、あんなに精巧な機械人形が造れるはずがない。父の造ったボディは継ぎ目が露骨に見えている。触れてみても、全く金属の手触りで、温かみなど一切無い。ハルナのような機械人形とは比べるのも失礼だ。

 とりあえず、遊歩はコンピュータを立ち上げる。
 ジジジと本体がなった後、ディスプレイには「パスワードを入力してください」との表示が現れる。父親のパスワードなど、一つしか考えられなかった。遊歩は迷わずに「yuuna」と入力する。彼が恋焦がれ、そして造ろうとしていた機械人形の名前。遊歩の母親の名前。
 コンピュータはすぐに、正解音を鳴らして、その続きを表示し始めた。
 その中から、プログラムらしきものを選び取り、開く。素人には一見無意味な文字列が次々にたち現れる。しかし、遊歩は初等教育で、プログラム言語を選択していた――もちろん、父親の命令でだが――ので、それを簡単に読む事ができた。
 そして、一読して頭をかかえてしまった。
 父親が組んだらしいプログラムは、本当にどうしようもなかった。初等のプログラム言語を習った遊歩ですら見つけられるような間違いが、ぼろぼろと見つかったのだ。これじゃあ、ちょっとした車のモデルを走らせることすらできないだろう。
 これで機械人形を作ろうだなんて、全くのお笑いだ、完全な道化だ。

「ちっくしょ……」

 自然と遊歩の目に涙があふれてきて、目の前のディスプレイが曇った。
 死体を発見したときも、葬式の時も、一滴もこぼれる事が無かったというのに。

 馬鹿だ。馬鹿以外の何者でもない。この程度のプログラムも書くことができずに、身のほど知らずの夢を追い求めて、挙句の果てに疲れきって死ぬなんて。
「父さんの…バカやろ……」
 けれど、涙を流しながらも、遊歩は笑っていた。もう、笑うしかなかった。
 父は、変人だっただけでなく、救いようの無い愚か者だった。
 夢を求めるのはいいことだと先生にも教わったが、いくらなんでも無理がありすぎる。

 遊歩は笑い泣きしながら、冷たい床に顔をふせた。そして、しばらく、そこで涙を流しつづけた。



 父が死んで、遊歩には親類というものがいなくなった。引き取り手も見つからなかった。結局、寮のある中等・高等教育所で過ごすことになった。
 そこで彼は、コンピュータ言語を中心に学んだ。
 技術者になって、ハルナのような機械人形たちに関わっていたいというだけで、父親の跡を継ごうなどとは微塵も考えていなかった。
 そして、幸運にも――父親のことを考えれば全く皮肉な事に――遊歩にはその方面の才能があったらしい。順調に力をつけてゆき、二十歳になるころ、彼は《機械人形生殖サポートセンター》の技術者として正式に採用された。

 その初仕事として、同期の進藤律とともに携わる事になったのが、偶然にもハルナの娘にあたるナナの《教育》だった。
 特殊型機械人形たちは、生まれてから三年半ほど、教育と呼ばれるプログラムを少しずつ入力され、それによって大人になるのだ。一人前になるのに必要な儀式と言ってもいい。それを担当するとうことは、自分が担当した機械人形の性能や、はたまた性格を決定する重要な仕事だ。
 あのハルナの子供を担当できるという事は嬉しかったが、そうとうなプレッシャーでもあった。

 しかし、チーフである加納実由の助けもあり、遊歩は与えられた仕事をそつなくこなしていたのだ。
 あの《ゼロ・シンドローム――初期化症候群》と呼ばれる現象が、《コミュニティ》内に蔓延するまでは。



BACK NEXT NOVELS INDEX



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送