*COUNT DOWN カウントダウン*
たとえば、黒のうごめく中に、少女が一人、座っている。
細くしなやかな腕で、その膝を抱え込み、まるで眠っているかのように眼を閉じている。
揺れ、動き、乱れる黒色。その一部分は赤く、その一部分は青く、その一部分は黄色く、うごめく黒。影。
炎のように揺れ、風のように巻き上がり、川のように流れ。
この世界に存在するすべての色を、その黒の中から取り出すことができるだろう。
いや、たった一色だけ、黒の中には決して存在しない色がある。
そして、少女は、そのたった一色で彩られている。陰影も、輪郭も、そこには存在しない。
その少女は誰の目に見える事もない。まるで文章の中で書かれただけの存在のように、希薄な存在。
この描写だけが少女のすべて。彼女と指し示す事すらもできない。
どんな感覚を使っても、例えそれが第六感というものであったとしても、その存在は感じ取る事ができない。
たとえば、都会の喧騒の中。何かが一瞬だけ、自分のそばを通り過ぎる。
その気配はあくまでもかすかで、残滓をたどることすらもできないほどに。
それでも、確かに存在していたような気がしてしかたがない。忘れようにも、忘れられない。
けれど、その気配が一体どのようなものだったかというデータは、すでに記憶の中からも失われ、なにかがそこにあったという奇妙な感じだけがくすぶりつづけている。
その感覚は、決して消えることが無い。
たとえば、スピーカーから流れ出るくだらない音楽、誰かの携帯電話の着信メロディ、たわいないおしゃべり、列車の発車アナウンス。
渦をまき、それらは耳に突き刺さる。
こっそりと奏でられたブリキのオルゴール、子供たちが練習しているハンドベル、待ちこがれたチャイム。
どんな類の音も、その渦の中に巻き込まれ、竜巻のように成長し、その塊はすべてを破壊してゆく。
けれど、その中に、ただ一つだけ、見つけられない音楽がある。
耳をすましても、その音楽だけは聴くことができない。いや、耳をすませばすますほど、その音はかき消されてしまう。
それは、決して聴くことのできないもの、奏でることもできない至上の音楽。
たとえば、銃声の響く混乱の中。見えない恋人を探している。
ただただ、その思い出だけを胸に抱き、記憶だけをたよりに歩いている。
泣き、わめき、叫び、悶え、苦しみ、哀しみ、慟哭し、嘆き、祈り。群集の表情をひとつひとつ確認しても、恋人の瞳は見つからない。
恐怖し、狂い、ただ暴れまわり、破壊し、粉塵の中恍惚として笑い。その中にも、恋人の唇は見当たらない。
恋人が、本当に存在していたのか、今となってはわからない。
恋人などという単語が、本当に存在するものなのか、それすらもあやふやになってゆく。
見つけることのできない永遠の恋人を捜し求め、歩いてゆく。それでもどうしても、かれの姿だけはみえない。
どんな言葉を使おうと、どんな絵の具を塗りたくろうと、どんな歌を奏でようと、どんなプログラムを組み立てようと。
その存在を定義することはできない。誰にも規定される事はない。
それは、言葉にするならばそういった存在だった。
第1章
おかあさん、やすらかにねむってください。
わたしは、おかあさんからおしえてもらったこと、やさしさだとか、よろこびだとか
そういう、ふかくていようそを、だいじにいきていきます。
おかあさんは、わたしのほこりです。
ほこり、ということばのいみをおしえてくれた、おかあさんへ。ありがとう。
ナナは、誰もにかわいらしいと感じさせる声でその紙を読み上げると、壊れ物を扱うかのようにゆっくりとたたんだ。そして、白い花で飾られた棺の中へ入れた。
小さくふっくらとした手をあわせ、少しうるんだ目を閉じる。
瞳は涙でいろどられ、花にかこまれた女を映しこんでいる。しかし、そこから涙がこぼれ落ちることは無かった。
それは、二十日に一ぺんの雨の日のこと。少女の哀しみを代弁するかのように、空は泣いている。
「GKP-8.56はまだ子供だ。死の意味なんてわからないだろうに」
進藤律は、葬儀場の後ろの方でナナの様子を凝視しながら、いつもの皮肉めいた口調で言った。
その隣で、こちらもナナを見つめていた的場遊歩は、その言葉を自分に向けられたものだと判断する。
「いや、そもそもあいつらの死に、意味なんてないんだっけか」
「……律」
いさめるような調子で、遊歩は言った。
「ナナは間違いなく、悲しい、という感情を理解している。教えたのは僕たちだろう?」
「相変わらずお前は、あいつを名前で呼ぶんだな」
律は、どうにもナナの事が気に喰わないらしい。いや、ナナだけではない。遊歩や律が担当しているクライエント、その全てが気に喰わないようだ。だから、こんな会話は日常茶飯事だ。
遊歩は、こんな時、いつもなら律を睨み付けてやるのだが、今日は無理やりに笑顔を作った。
この場で口論を起こしたりなどしたら、ナナがあまりにも可哀想だ。
同じように少女を凝視していた二人であったが、その視線にこめられたものは、全く違った。
遊歩の瞳は、目前の少女を不憫に思う気持ちと、そして、その母親ハルナへの哀惜をたたえていた。何かきっかけがあれば、涙すらもこぼれてしまいそうに。哀しみにおおわれた瞳は、しかしいつもより美しくも見える。
対する律のほうは、完全に見下した視線をナナと、悲しみにむせぶ参列者達……そして、ハルナに向けている。
どうだ、とんでもない茶番だろう。見ろよ、何の感情も持たないはずの機械どもが泣いてやがる。
律のせせら笑う声まで聞こえてくるようで、遊歩は首を振った。
職場から支給された白衣を着替える事がめったにない律も、この時ばかりは黒い服を着ていた。それだけがまだしもの救いだと、遊歩は思った。
これは、三歳の幼子を残していってしまった母親を見送る、厳粛な儀式。白い服なんてもってのほかだ。
律は本当なら民間企業に就職するはずだったのを、政府に無理やり引き抜かれここへ来たのだと聞いたことがある。
だから、機械人形に対してこのような態度をとるのだろうかと考えた。
確かに《コミュニティ》の外では機械人形の地位は低い。しかし、ここの技術者達は一般的に、機械人形を好意的に見ているのだ。
それだけに、律の態度は特殊だった。
「おかあさん……さようなら」
まだ「死」という概念を理解していないかのように見える、幼いナナの様子は、列席者の涙を誘った。
この子供は、これから母親のぬくもりを一切知らずに育ってゆかなくてはならないのだ。
それに、実際問題として、母親を特殊なウイルスによって亡くした彼女が、本当に無事に成長できるのか誰にもわからない。
棺にいっぱいの花の中で、瞳を閉じて薄く微笑んでいる女は、生前とまったく変わった様子がなかった。
傍目からは、眠っているのと区別がつかない。今にも目を覚まし、起き上がり、いつものように話しだしそうに見える。
あら、みんな、どうしたの? 黒い服なんか着ちゃって。
真っ白い花をのけながら起き上がって、そして微笑んで。
当たり前だ。彼女の体は、腐敗する事がない。五十年ほど前に開発された特殊な金属でできているので、錆びる事すらない。いつまでも、その若さと美しさを保ったまま、彼女は幾千年もの時を刻むはずだった。
そのはずだったから、遊歩は安心していたのだ。彼女に追いつくことができると思っていたのだ。
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