第14章



 遊歩が《コミュニティ》を出て、三週間ほどがすぎた。
 ナナの目はだんだんとうつろになってきていた。《ゼロ・シンドローム》発症の初期症状だった。
 ハルナも、こんな風にして死んでいったのだ。遊歩は思う。けれど、きっと、それから目をそらしてはいけないのだ。限界まで生きて、そして死んでゆくことを、ナナが欲しているのなら、遊歩はそれを見守らなければならない。

「ナナ……次は、どこへいく?」
 ナナの記憶は、やがては消えてしまうもの。遅くとも、あと一ヶ月以内には完全になくなってしまう。
 けれども、遊歩はそうやって、ナナと旅することをやめられなかった。
 ナナは、目に映るものすべてを、懸命に焼き付けようとする。広い世界を忘れたくないと、よく開かない目をそれでも見開いて。鈍っているはずの触覚をおぎなうように、なんども触れて。

「あたし、いく、ゆうほおにいちゃん、すむ、むかし、いえ。」

 ナナの言葉は、どうしようもなくつたなかった。助詞だとか、なくても意味が通じるものから、どんどんと忘れていっているのだ。
 けれど、遊歩はその言葉を理解できる。
「僕が住んでた家?」
 こくり、とナナはうなずいた。うなずくと、一瞬バランスをくずしてしまう。即座に遊歩はナナの体を支えた。
 まだ、その体はあたたかい。ナナの中でなんらかのエネルギーが使われている以上、かならず出てくる熱だ。けれど遊歩は、自分のために、ナナがまだあたたかいままいてくれているかのように感じた。
 せめて、言葉が失われても、この熱を失うのは、遊歩にとって痛すぎたから。
「僕の家、か……」
 遊歩は、父親が死んだときに、その家を手放してしまっていた。《コミュニティ》周辺の土地なんて、と二束三文で買い叩かれた。今どうなっているのかはわからない。
 ひょっとすると、建物も、そのまま放置されているかもしれない。父親の研究室も、何もかも。まっさらな土地になっているという可能性のほうが、いくぶん多いけれど。

 遊歩はしばらく悩むそぶりをみせて、
「わかった、行こう」
 決断した。
 どうせ、そう遠い距離でもなかった。ムービングロードで近くまで行けば、あとは歩きで事足りる。夕暮れまでにはたどり着くだろう。
 そう思ったのだが。



 最短ルートを通るムービングロードは、工事中だった。なんでも、ここ一週間ばかり、止まって動かなくなっていたらしい。
 ムービングロードが故障したなどという話は初耳だった。しかも、優秀な機械技師の手にも負えないような、複雑な故障なのだという。
 そういえば、最近そのようなケースが多いなと遊歩は思う。ナナの燃料を分けてもらいに、いくつか立ち寄った家でも、家庭用機器の故障が頻発していた。
 立体テレビで見た分析家が言うには、正体不明のウイルスが暗躍している可能性があるらしい。
 遊歩は単純に、耐用年数ぎりぎりだった機械たちが、こぞって壊れだしただけだと思っているのだが。
 そういうわけで、遊歩とナナは、少しばかり遠回りの道を選ばなければならなかった。正常に動いているはずのムービングロードも、いつもよりもだいぶ速度が落ちているような気がした。



 遊歩がようやく、ムービングロードを降りたときには、もうすでに暗くなっていた。
 星がまたたく夜だった。

 そのあたりはやはり閑散としていた。《コミュニティ》を不気味に思う人間は、今でもやはり多いらしい。
 遊歩は苦笑した。この分だと、遊歩の家も、やはり放置されているかもしれない。そんなことを考えながら歩いて、やがて、最後の角を曲がった。

 そして、遊歩の目に飛び込んできたのは、あまりにも場違いな光景だった。
 まず、目に入ったのは、強く光る門灯。
 遊歩の家があったところ、いや、その一帯に、大きな大きな建物が建っていた。
 遊歩の家自体も、普通の家に比べれば大きいほうだった。しかし、その建物はそれよりもはるかに大きい。ガラスがふんだんに使われた、光がよく入る家だった。
「ゆうほおにいちゃん、いえ?」
 ナナが問う。
「もとは、ね。今は……なんだろう。お金持ちの家かな」
 とりあえず、遊歩はそこの住人に連絡をとってみることにした。
 遊歩自身もおなかをすかせていたが、ナナの燃料も、そろそろ補給しなければいけないところだった。

「すみません」
 門の前、設置されたカメラとマイクに話しかける。すぐに、スピーカから女の声が流れてきた。ハスキーな声だった。
「どちらさまですか?」
「少しばかり、宿を貸していただきたいんです」
「そちらの女の子は……だいぶ弱っているようですけれど」
「ええ、ちょっとした病気で。伝染することはありませんから」
 あたりまえだ、伝染するような特殊型の機械人形は、ここにはいないだろう。
「わかりました。どうぞ」
 扉が、重々しい音をスピーカから鳴らして、開いた。
 遊歩たちが中へ入ってゆくと、黒いロングワンピースを着た女が、出迎えてくれた。
 彼女は瞳を閉じていて、顔の横には小さなカメラが除いている。視力を失っているのかもしれなかった。
 落ち着いた物腰からは、三十台に達しているかとも思われたが、肌や体つきはまだ若々しい。おそらく、二十台の後半だろう。
 どこか、懐かしい顔立ちをしていた。
「ようこそ、『最後の家』へ……」
 女が一礼した。長い髪が揺れる。
「最後の家?」
 聞いたことのない名前だった。遊歩は思わず、目の前の女をまじまじと眺めた。
「彼女を、ここへ預けに来たのではないのですか?」
「ナナを?」
 ナナを預けるだなんて考えたこともなかった。それに、何故この女が、そんなことを言い出すのだろう。
「それでは、何のためにここへ?」
「ここは、昔、僕が住んでいた家だったんです。父親と、二人暮しでした。十年ほど前に父を亡くして、そのときにここを売り払ったんです」
 父親、と口に出すとき、胸に鈍い痛みが走った。まだだ、まだ忘れられない。
「まあ、それじゃあ、あなたが的場遊歩さんですか?」
「僕の名を知っているんですか?」
「ええ、ここを買い取るときに聞きました。といっても、五年ほど前の話ですけれどね。ここはずっと、空き地だったのですよ。あなたとは、少しゆっくりお話をしなくちゃいけませんね。どうぞ、あがってください」

 途端に、ナナの体が崩れ落ちる。しまった、エネルギー切れだ。
「すみません、その前に……燃料を少しばかり、分けていただけませんか。この子、機械人形なんです」
 特殊型だ、ということはまだ言えなかった。ゆるやかに、彼女は微笑んで、立ち上がった。



 ナナは燃料補給を済ませて、空いている部屋に寝かさせてもらった。
 遊歩はと言えば、女とともにテーブルを囲んでいる。
「私の名前は、藍と言います」
「アイ、ですか」
 遊歩はついつい、彼女の目の辺りを見てしまう。Eye、開くことのない彼女の目を。
 藍はそれを感じ取ったのか。
「皮肉なものでしょう? 私には目なんてないのに」
「そういうつもりじゃなかったんですけど」
 顔を真っ赤にしてうつむく遊歩に、藍はくすくすと笑った。
「瞳はありませんけれど、私にはこのデバイスがありますから、不自由はしていません。通常の視覚よりも、幅広いものを見る事だってできますから。赤外線モードだとか、ズーム機能だとか。普段は、使いませんけれどね」
 藍は一度言葉を切った。アイスティーをおいしそうに飲み干す。
「あの、それで、ここ。『最後の家』ってのは一体、なんなんですか?」
「ここは、死を迎える人のための家です」
 藍は毅然として言った。しかし、遊歩には意味がよくわからなかった。
「死を迎える人、ですか」
「死につつある人間が、少しでもやすらかな眠りを求めるのは、当然のことでしょう。ここは、それを手助けする場所です。死にゆく人々、それぞれの信仰や、生活、それまでの職業などを考えて、スケジュールを組み、そして、最後の人生を、できる限り満足のいくものにする。それが、ここの目標です」
「ここが、そんな風に、使われているんですか」
 遊歩は唇をアイスティーで濡らして、それからため息をついた。ちょっと予想もつかない話だった。
「母体の企業はどこです?」
「え?」
「ここを補佐している企業です。こんなところ、一人では運営してゆけないでしょう」
「いえ、私一人です」
「ええ?」
 こんな大きなシステムを、女ひとりで運営してゆくなど、不可能に近い。
 たとえある程度のことはコンピュータ任せにしたって、メンテナンスなどは一人ではきついものがある。
「私……私、そうですね。確かに、ここは私ひとりで運営していますよ。誰の手も借りていません」
「でも、ひとりじゃあ、細かいところまでは行き届かないんじゃあないんですか」
 藍は遊歩の言葉を聞くと、にっこりと笑った。
「大丈夫です、私はこの家、そのものなんですから」



 藍は、機械人形関連の特許を持つ、資産家の家に生まれたのだという。
 父と、母と、少し歳の離れた弟が三人。絵に描いたように、幸せな生活を送っていた。
 けれど、九年前の事、一家に大きな転化が起こる。夕食を楽しんでいた一家の元へ、突如、窓をぶち破り、一体の特殊型機械人形が現れた。
 女性型で、確かに美人ではあったのだが、その顔は血に濡れていた。右腕には機関銃が握られていた。
「ひっ……」
 声をあげる暇もなかった、機関銃が火を噴いて、まず、一番小さな弟が血しぶきをあげた。
 次に、母親。そして、藍自身が打たれた。
 体がびくんびくんとはねるのがわかった。

 気がついたときは、病院のベッドの上だった。けれど、藍自身にはそれが見えなかった。
 あの殺戮劇によって、藍は、目と両腕、そして左足を失った。

 しかし、藍は幸いだった。
 藍の父親は機械人形の技術者だった。万一のときのために、視力を補強するデバイスや、義手、義足、人工臓器のたぐいは、一セット残しておいてくれていた。
 藍は、そのおかげで、目以外は、ほとんど普通の人と変わらない見掛けになった。実際は、体の半分近くは機械だったのだが。
 義眼は、藍が拒否した。義眼を入れてしまえば、自分が一体何故こうなったのか、それを確認するすべがなくなるような気がした。機械とともにあることが、まったくの日常になってしまうのは嫌だった。

 藍の家族や、その近所の人々を襲った機械人形は、反乱分子の末裔だったのだという。
 《コミュニティ》には満足できずに、あくまでも人間と対等な立場にたちたいと願った、過激派の残党。まだ残っていたのか、と一時期は世間を騒がせたりもした。
 彼女は、政府に捕らえられ、藍が目覚める前に処刑されたと聞くが、詳しいことはわからない。

 そして、藍は数年の時を過ごす。
 機械の勉強もした。何のためだったのかはわからない、別に、その機械人形に復讐するつもりだったわけでもない。
 それは、やはり血筋だったのかもしれない。天才的な機械技師と言われた父親の血を、藍が色濃く受け継いでいたと、そういうことだったのかもしれない。

 そのことは、確かに、それから数年後、藍が「最後の家」を設立するときに役立つことになる。
 きっかけは、ひどく単純なことだった。数百年前の、ある女性の伝記を読んだ。彼女の生涯にひかれた、そういうわけではない。ただ、その女性が作ったという、死を待つ人の家、それにひかれた。死に掛けた孤独な人たちを集め、その死を看取るのだという。それに、ひかれた。
 自分は、このために生まれてきたような、そんな感じがした。

 藍は、両親の遺産を使って、《コミュニティ》付近の安い土地を、広く買い取った。
 そこに、巨大な家を建てた。家の中には、コンピュータ回線を張り巡らした。
 それと同時に、自分の体の中に、小型のコンピュータを埋め込んでもらった。家中の端末とのネットワークを造った。家の中、すべての機械が、藍の意思ひとつで動くようにした。自らもそのプログラムに参加した。

 そうして、『最後の家』が生まれた。客は思ったよりも少なかったが、それでも藍は充実していた。
 人が安らかに死んでいくのを見るたびに、自分の中で、あの事件が整理されてゆくような気がした。だからこそ、藍はこの仕事を選んだのだろう。
 この家は、藍自身だった。



 話を聞き終えて、遊歩は大きく息をつく。
 思った以上に過酷な話だった。しかし、藍は満足そうにたたずんでいる。
 早晩、ナナが特殊型の機械人形であることは、ばれてしまうだろう。それならば、早いうちに、伝えておいたほうがいいだろうか。
 それとも、藍の傷がまだ癒えていないのなら、それを告げることは、古傷をえぐることになるかもしれなかった。もしも、もしもそれでナナに危害が加えられるようなことがあったら、そう思って、遊歩は躊躇した。

「もしも、もしもの話ですよ。特殊型の機械人形が、この家に訪れたら?」
 おそるおそるに切り出す遊歩に、しかし、藍は平然と言ってのける。
「ナナちゃんのことですか?」
「知ってたんですか!?」
「見ればわかります。特殊型は、普通とはちょっと違った電波を使ってますから」
 藍は、目の横のデバイスを指し示す。そういえば、藍は特別な視覚でものを見ているのだ。そんなことはわかっていて当然だった。
 けれど、遊歩の心臓はけっして落ち着かない。
「それで……ナナをどうするつもりですか?」
「どうするって?」
 あくまでも無邪気な様子で問い返す藍に、一瞬の深呼吸。
 遊歩は藍をにらみつける。けっしてひらかれることのない、その瞳に負けないように、両手に力を込める。
「ナナに危害を加えることは、僕が許しません」
 言うと、藍はきょとんとした。まるで予想外のことを言われた、そういう様子だった。
「あの……私が特殊型機械人形を傷つけるなどと、一体いつ言いました?」
 遊歩は困ってしまう。藍の声はほんの少しだけ哀しげに聞こえた。
 疑うべきじゃなかった、そう思っても遅い。藍がそんな復讐を考える人ではないことくらい、今までの間にわかっていてもよかったはずだ。
「死にゆく人は、みな平等です。それが、普通の機械であっても、人間であっても、死は、平等におとずれます」
 そのたたずまいは、まるで、殉教者のそれだった。
「ごめんなさい」
 気おされたかのように、遊歩は頭を下げる。と、その頭頂部に、藍の右手が触れてきた。そのまま撫でさすられる。
「気にしないで。遊歩さんは、ただ、ナナちゃんのことを守りたかっただけなのでしょう」
「でも……」
「もしも、遊歩さんにその気があるのなら、ここの仕事を少しでも手伝ってもらえると、うれしいわ。死にゆく人たちと、感情を通わせるのは、なかなか難しいの。あなた、ナナちゃんのメンテもしているんでしょう、なら、私のメンテに手を貸してくれませんか?」
 遊歩は顔を上げる。間近に藍の顔があった。やはり、どこか懐かしい面差しだ。
「よろこんで、お手伝いさせていただきます」
 精一杯、声を張り上げた。



 ここでは、毎日誰かが死んでゆく。けれど、それはけしてルーティンなどではなく、厳粛な儀式だ。
 遊歩がメンテナンスをするコンピュータ、AI-No.9は死の直前にある人に、最後の夢を見せるコンピュータだ。最後にして、最高の夢を、AI-No.9は紡ぎだし、そのまま死へといざなう。
 だから、ここの死者は誰もが微笑んでいる。

 ナナは、いつの間にか一人の少女と仲良くなった。ひどい病気で、手や足の骨がほとんど溶けてしまっている少女だった。
 ほとんど軟体動物のように、彼女はベッドにのびていた。絶滅したかと思われていた病だった。
 遊歩が藍にたずねると、感染力が弱まったのであまり広まらないが、一部の地域で生き残っている病なのだと教えてくれた。
 無論、言葉など話せない、が、ナナは何か感じたようだった。ずっと、少女のベッドの横に座っていた。
 ナナを見つめる少女の表情は、不思議なほどおだやかだった。もうじき死ぬというのに。

 藍が言った。
「あの子、ずっと、ここに来たときから、友達がほしいってAIに訴えていました。あの病気にかかってから、昔友達だった子達も、気味悪がって離れていったみたいなんです。私もできる限りのことはしてみたんですが、私では不足だったみたいで、今、ようやく友達ができたって、あの子、喜んでいますよ」
 藍はご丁寧に、感情グラフまで表示させる。確かに、ナナが来てからというもの、少女の感情は、大幅にプラスのほうへ振れていた。

 少女の死はAI-No.3のスケジュールどおりにやってきた。これ以上は体のほうが持たないと判断された。
 少女は、最後の夢を見た。遊歩が事前に指示しておいた通りの、たくさんの友達の夢だった。
 遊歩はモニターで、その夢を見ていた。少女が口元を緩めるのを見て、心から安堵した。
 ナナは、少女が目を閉じるまで、そして、その体がつめたくなるまで、ずっとその手を握っていた。少女が冷たくなってからも、しばらくは離さなかった。ぐにゃぐにゃとしていた指先が、初めてかたくなってからも、ずっと、握り続けていた。

 少女が、ナナの手のあたたかさを確かに感じながら死んでいったのだと、遊歩は信じたかった。



 その日も、遊歩は死にゆく者に夢を見せるため、AI-No.9を操っていた。
 だいぶ、AIシリーズの扱いにも慣れてきた。さすがに藍と直接接続しているだけあって、人間的な調子の良し悪しがあるのだが、慣れるとそれが返って使いやすくなった。

 AI-No.1に接続して、今日の死者の情報を得る。
 今日死へ赴く予定の男は、服毒自殺をしかけ、命だけは取り留めたものの副作用が残ってしまったケースなのだという。副作用のあまりのひどさに、本人はまた死にたがった、そこをこの家へ引き取ってきた。せめて、心安らかな死を与えるために。
 この男のキーワードは恋人だという。幸せな恋人同士、という夢ならば、数十パターン用意されている。
 遊歩は男の境遇に照らし合わせ、ひとつの夢を選択した。
 男の夢をモニター上に表示させる。今、この夢を男は見ているはずだ。夢の絶頂の瞬間に、男の中には死の薬が投与される。痛みを和らげる薬とともに。死後は、男の出身地域の風習に基づき、土葬にされる予定だ。
 男が、若かりし頃の妻らしき女と、手をつなぎながら散歩している。男は幸せそうに笑っている。よく晴れた日だった。穏やかに輝く太陽が、女の髪を彩っている。髪の毛が照り輝くさまを天使の輪というけれど、まさしくそれは本当だなと遊歩は思う。この場合は、死の天使でもあるわけだけれども。

 幸せな時間はしばらく続き、遊歩はそろそろいいだろうと、死のタイミングをはかった。
 その時だった。女の目の色が、ふと変わった。凶暴といってもいい目つきをし、男の首に手を伸ばした。掴み、はげしく首を絞め始めた。
 遊歩は目を丸くした。こんな夢は、そもそもプログラムされていない。何らかのエラーだった。強制的に夢を終わらせようとし、しかし、それはかなわない。果てしない青空、美しい鳥の調べの中で、その光景は浮き立って見える。遊歩が男の元へ駆けつけると、すでに彼は死んでいた。自分の手が、首に巻きついていた。青く、男の手の形にあざが残っていた。自分で自分の首を絞めたらしい。口からは、何か、妙な液体をたらしている。遊歩はもどしそうになるのをこらえ、藍に連絡を取った。

「藍……聞こえますか、おかしいです、AI-No.9がエラーを起こしました」
 しかし、藍の返事はなかった。こんなことは今までにはなかった。

 藍は今リビングにいるはずだった。遊歩はそちらへ急行する。と。藍は、ソファの横に倒れていた。
「藍? どうしたんですか!?」
 遊歩は藍の華奢な体を揺さぶる。すぐに、藍はゆっくりと体を起こした。
「すみません……私。なんだか最近、コンピュータの調子が悪いみたいで、時々、意識までブラックアウトするんです」
「コンピュータの調子が?」
「ええ。ここ五日ばかりですけれど」
「今、僕もNo.9を使っていたんですが、なんだかエラーを起こしてしまったみたいで」
「夢の途中に?」
「はい、プログラムされていないような夢がでてきて」
 藍は唇を噛んだ。
「どうしたのかしら。ここのコンピュータは自己修復の機能も持っているから、めったなことでは壊れないはずなのに。今までだって、こんなこと一度もなかったわ」
 そういえば、この頃、機械が壊れるという話をよく聞くような気がする。
 遊歩たちがここへ来た時も、最短のムービングロードが故障していた。遊歩は、藍と顔を見合わせる。
 なんだか最近、何もかもがおかしい。



 ナナは、すやすやと眠っているように見えた。
 もう、ナナはほとんど立ち上がることもできない。ベッドの上に、瞳を閉じて横たわっている以外、できることがない。
 遊歩は、ナナが起きているのか、眠っているのか、もはや区別がつけられない。
 一週間という時間は、ナナから自由を奪うのに充分すぎた。

「ナナ……まだ起きてる?」
 ナナはもう言葉を話せない。だから、遊歩はナナの手を握る。ナナはその手を握り返してきた。起きているよという合図だ。
「これから、どうしようか。ナナ、ずっと、ここにいる? ここで、最後まで一緒にいる?」
 ナナは答えなかった。
「藍はやさしい人だよ。ここなら、きっとナナも、最後まで幸せでいられるんじゃないかと思うんだ」
 握る手に力を込める。あの少女のときに、ナナがそうしたように。遊歩はナナの、もう動かない瞳を見つめる。
 すると。ナナが、かすかに口を開いた。空気が漏れるかのような、今にも消えそうな声がした。
 遊歩は、ナナの唇に耳を近づける。ナナの吐息を間近に感じる。遊歩は、もはや音になっていない空気の流れで、ナナの言いたかったことを感じ取った。
「おかあさん……あう、おかあさん、……あいたい」
「おかあさん?」
 ハルナのことだ。遊歩の中に、久々にハルナの死に顔がよみがえってくる。
 誰よりも綺麗なハルナ、逝くときも取り乱したりはしなかった。ハルナは確か、コミュニティの墓地に埋葬されていたはずだ。見晴らしのよい、丘の上に。

 おかあさんに、あいたい。
 それが、ナナの最後の望みなら、遊歩はそれをかなえてやらなくてはならないのだろう。



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