「な、お前のところ、雨降ったことある?」
はじめに言い出したのは、確かユータだった。
「俺の庭、雨とかぜんぜん降らないんだよね。タクとかキイチに聞いても降らないって言うし。まあ俺らの初期設定が悪かったのかもしれないけど。実際どうよ、みなさん。雨とかって降ってる?」

 ユータの言葉を聞いて、みんなが顔を見合わせた。
 その頃はまだ、〈庭〉の乾きもそれほどひどくなくて、雨が降っていないことになんて、みんな気付いていなかった。

「……そういえば、降ってないな」
 ダイがはじめに口を開いた。
「ぼくの庭は、ごく普通の広葉林だから、時には雨、ぱらつくはずなのに。ユータの所はまあ、細菌の培養所だし、降らなくてもおかしくないけど」
「あたしもだな」
 そこで同意したのはナツミ。続いてハルも手を挙げる。次々に、うなずきが起こる。〈庭〉に雨は降らない。自分の〈庭〉はいつだって晴れている。
「でもさ、雨が降らないって、何か問題あんの? 晴れてたほうが遊べていいじゃん」
 マイが首をかしげる。そこへソウイチが誇らしげな口調で。
「ふん、生態系というやつは、適切な水の循環がないと成り立たないんだよ。雨が降らなかったら水資源が枯渇するってね」
「で、そういうあんたんとこは雨降ってるワケ?」
「いや……降ってないけど」
 ちぢこまるソウイチの姿に、どっと場がわいた。ひとしきり笑った後に、ルリが提案した。
「ねえ、先生のとこに、相談に行こうよ。どうして〈庭〉には雨が降らないんですか?ってさ」

 結局その日の終わりに、私とルリが代表になって、先生に質問しに行くことになった。
 けれど、先生の話は、あまり参考になるものではなかった。

「雨が降らない? 庭に? そんなはずはないんだがね。雨の様式はきちんと組み込まれてるし、人によって差はあるけど、雨雲の発生確率をゼロにはしていないはずだ。……考えられることがあるとすればね、君たちの心理の問題じゃないか? 子供の頃っていうのはとかく外で遊びたがって、雨なんて降らなきゃいいって言うものだからね。君たちの、雨なんか降らなきゃいいって気持ちが、雨の発生を防いでしまっている可能性はある。確かに私たちも、雨は好きじゃない。いや、積極的に嫌いだといってしまってもいい。しかしだね、雨が降らなければ植物も何も育たない、そしたらそれを食べる動物だって飢えて死んでしまうのだよ。君たちの庭は、君たちの意志の影響を多大に受けるんだ。一時の遊びたいっていう感情ではなくてだね、もっとこれからの庭のことをしっかり考えて、気候の管理をしなくてはならない。わかるかい?」

 私もルリも、はい、はいと言って話を聞いていたけれど、内心では首をかしげていた。
 確かに、私たちは雨よりも晴れのほうが好きだ。けれど、〈庭〉に雨が降らないのは、そんな理由じゃないと思う。

 みんなのいる教室に戻りながら、ルリは、
「ろくな情報じゃなかったね」
 と言って苦笑した。私も、ルリと同じ気分だった。
「雨……外にはあんなに降ってるのにね」
 私が窓の外を見やると、ルリはきょとん、といった顔をした。
 あいも変わらず窓の外には、大きな雨粒が絶え間なくつたっていた。

 先生の答えは、やっぱり役に立たなかった。
 その日から何ヶ月たっても、どれだけ〈庭〉が乾いても、〈庭〉の生き物たちが干からびても、みんなの〈庭〉に雨は降らなかった。
 どれだけ真剣に願っても、雨よ降れと繰り返しても、やっぱり雨は降らなかった。

 
 ――私の庭を除いて。



「雨、早く降ってくれないかなあ」
 とキイチがこぼした。
「そりゃあオレんとこは草原だし、多少雨降らなくてももつんだけどさ、なんか、やっぱり調子狂うんだよな。空気とか変に埃っぽいし。このままだと、乾燥に強いやつらも枯れはじめるの、すぐだよな」

「ほんとよっ」
 サチコが大声をあげた。
「うちの稲が枯れちゃったらどうする気なのかしらっ。おいしいお米が食べられないわ。キチンと手入れして、秋の収穫楽しみにしてたのに。こんな、雨が降らないだけのことで計画つぶれるんなら、たまったものじゃないわよ」

「〈あめふらし〉は何処にいるんだろう」
 ダイがつぶやいた。
「〈あめふらし〉が見つかれば、きっと、ぼくらの庭に雨を降らせてくれるのに。ほんとに、あいつは何処にいるんだ」

「……ここにいるわよ」
 とは、私は言えなかった。



 みんなには言っていない。だけど、今、私の庭には〈あめふらし〉がいる。
 〈あめふらし〉がいるから、私の庭だけには、今もずっと、雨が降り続けている。教室の外の雨よりも、もっとずっと強く、ごうごうと振り続けている。

 私、ほんとうはナマコを育てたかったのだ。
 昔読んだ本で、ちらりとナマコの姿を見かけてから、私はもうナマコのとりこだった。だから、はじめに〈庭〉の造り方を教わったときに、私は迷わず、磯が出来るように設定した。
 けれど、そこにどんな生物が生まれてくるのかは、まったく神のみぞ知るというやつらしく、私の庭には、いつのまにかアメフラシが住みついていた。
 まあ、それでも、アメフラシは結構ナマコにも似ているし、ふにふにした感触は悪くない。角は可愛い。握ったとき紫の液体を出すのも、なかなかすてきなオプションだ。しばらくその庭で遊んで、私はすっかりアメフラシが気に入った。可愛いやつめ、と言ってつついて遊んだ。ナマコもいいけどアメフラシもいいよね、そんな気分になった。
 私とアメフラシは、なかなか上手くいっていた。

 けれど私のアメフラシは、ふいに、〈あめふらし〉へと変わった。

 外見の何が変わったわけでもなかった。握ってみれば、やっぱり紫の液体がどろどろと出てきた。
 だけど、アメフラシはもうアメフラシではなかった。アメフラシは、〈あめふらし〉になってしまったのだから。



 〈あめふらし〉の話は聞いたことがあった。
 頭の中に〈庭〉用のスペースを作るときに、何か手違いがあった時、〈あめふらし〉は姿を現す。コンピュータでいうところのバグのようなものだという。
 それは、ほとんど、たわいない噂にすぎなかった。実際に〈あめふらし〉を見たという人はいなかったし、そんなバグがあるのなら、こんなに簡単に〈庭〉をくれるはずがなかった。
 だけど、みんなの〈庭〉が乾いていくにつれて、〈あめふらし〉の噂は、だんだんと真実味をおびていった。
 自分の〈庭〉に〈あめふらし〉さえ来てくれれば、そうすれば。
 だんだんと、〈あめふらし〉の存在は、ヒーローの意味合いで語られるようになった。からから土地をうるおしてくれる、私たちのヒーロー。
 みんなが〈あめふらし〉を待ち望んでいた。

 私のアメフラシが変わってしまったのは、そんな時期だった。

 そのときはもちろん、ショックだった。
 私は自分のアメフラシが、好きだったのだから。
 私が大事にしていたアメフラシは、多分もうどこにもいない。
 〈庭〉に雨が降ったという喜びよりも、私にはアメフラシがいなくなった悲しみの方が、ずっと大きかった。もう、あのアメフラシには会えない。

 けれど、何故だろう。私はなんとなく、〈あめふらし〉を受け入れてしまっていた。
 〈あめふらし〉のいる私の〈庭〉は、いつだって雨が降っている。
 窓の外の世界と同じ、いや、それより強いくらいに。雨しか降らない世界に疲れて〈庭〉に逃げ込んだって、そこもまた雨ふり。
 だけど、私が気にしていたのはもう会えなくなってしまったアメフラシのことだけだった。
 〈庭〉で晴れた空が見られなくなっても、そのことはあまり寂しくなかった。〈庭〉にも雨が降るのなら、雨降りの中で遊べばいい。

 それ以来、〈あめふらし〉は私の庭に住み着いた。
 そして〈庭〉には、今でも雨が降りつづけている。



 〈あめふらし〉がやってきてから数日後。ルリが嬉しそうに話しかけてきた。
「ね、ね、庭を接続してみない?」
 ルリの手には、数本のコードが握られていた。
 その真ん中には、〈庭〉を設定したときに使ったのと似たような機械がくっついている。

「どしたの、それ」
「先生にもらってきたんだ。このコードがあればお互いの〈庭〉をつないで、行き来できるようになるんだって」
「へぇ……」

 私はコードをまじまじと見てしまった。このコードを使えば、私はルリの〈庭〉に行ける。ルリは私の〈庭〉に来てくれる。
 私の〈庭〉は雨ばかりだけれど……ルリはそれでも気に入ってくれるだろうか。

「ね、だからやってみようよ。先生にやり方も聞いてきたんだ。わたしのネコさん見せてあげたいよ。かわいいんだから」
「うん、いいよ」
 私はほとんど反射的にうなずいていた。

 そうこなくっちゃ、とルリは笑って、コードの先端を私の頭に取り付けた。そしてもう片方を自分の頭に。
 ルリが機械のボタンを押す。すぐさま頭の中がかき回されるような、妙な感覚、数十秒。
「よし、これでいいわね。あとはせーので庭に行けばいいんだって」
 ルリが私の手をとった。お互い、心の中でキーワードを準備する。二人で一緒に深呼吸して。

「せーのっ!」

 瞬間、私はもう、雨の中にいた。
 おしよせる水の中で、ルリを探す。
 コードで接続したからには、そう遠くないところにいるはずだ。
 辺りを見渡して、上空に一部だけ、晴れた場所を見つけた。あそこが多分ルリの〈庭〉とつながっているのだろう。そこから、人影がこちらに向かって歩いてくる。
 あれがルリだ。
 私はルリによく見えるように、大きく手を振った。と。

 信じられなかった。
 ルリは私の〈庭〉へ入ってくると、何かためらうようなそぶりをして、そしてくるりと方向転換して、自分の〈庭〉の方へと帰っていってしまったのだ。
 降りそそぐ雨が、私とルリの間に壁のように立ちふさがっている。

「ルリっ!」

 私は、ルリを追いかけようと駆け出した。そのとき、何かに突き飛ばされたように、私はふっとんだ。
 目の前で、火花が散った。

 そして、次の瞬間、目を開いた私が見たのは、私を責めるようなルリの瞳だった。
「ひどいよ…何で、入れてくれなかったの?」
「え?」
 ルリは顔をくしゃくしゃにして、私を問い詰めてきた。
 私にはわけがわからなかった。
 第一、〈庭〉に入ってきてくれなかったのはルリのほうだ。けれど、私は何も言えなかった。ルリの目が、もうほとんど泣きそうだったから。
「ね、何で。そんなに庭、見せたくなかったの? 自分のものだけにしときたかったの? なんで入れてくれないの、わたしのこと嫌い?」
「そんなこと……」
「じゃあ、どうして庭、見せてくれないのよ! ひどいよ!」
 そう言われても、私には返すすべが無い。私はルリを〈庭〉から追い出したりなんてしていない。
 私はむしろ、ルリが来てくれるのを待っていたのに。
 待っていたのに。

 何も言わない私を、ルリは一度きっとにらみつけ。

「最悪!」

 胸の辺りににぶい衝撃。
 痛い。さっきのコードを投げつけられたらしい。
 機械は、完全にショートしていた。
 私が呆然と胸を押さえていると、ルリは黙ってその場から駆け出した。
 今度は、追いかけることすら出来なかった。

 私はその場にしゃがみこんで、そのまま〈庭〉へと飛んだ。
 現実逃避と言われてもしかたがない。どうしようもない気分だった。



 目を閉じて、〈あめふらし〉の庭に立ち入れば、私を打ち付けるのはただただ、雨。
 アメフラシが体をひらひらさせていた磯辺は、もはや磯の意味を無くし、だだっぴろい湖になっている。
 水面に浮かぶ波紋は、もはや限界量を超えたよう。大粒の雨があたるたび、湖は飛び跳ね、揺らぎ、音を立てる。
 そんな中で私は、陸の上に立っているはずなのに、数秒もしないうち、ぐしょ濡れになっていて、これじゃあ海で泳いだのと変わらない。呼吸だって、打ち付ける雨のせいで苦しくて、そうよ今、私はこの雨の中、泳いでいるんだ。

 そして、私の隣には〈あめふらし〉。ひらひらと私にまとわりつきながら、紫の液を吐き出す。
 液体はふよんと珠になって浮かび上がり、灰色の雲で覆われた空に吸い込まれてゆく。

 あれが雨のもと?

 たずねる私に、〈あめふらし〉は囁く。

 違う、あれは雨。雨そのものだ。この身からあふれた水は、空へ上り、そしてそのまま雨となって降り注ぐ。だから、あれは雨そのものだ。海の水も空の水も、きみの体の中の水も、何の違いも無く、ただこの庭を形作っている。

 〈あめふらし〉はあいも変わらず、紫色を天へ飛ばしながら。
 私は、雨に打たれ、雨に泳ぎ、自分の輪郭などもう見失ってしまう。
 私の体はいつしかただの水になり、空へ上り、雨になり、海に降り注ぎ、やがては〈あめふらし〉にもなるだろう。

 それでいい。何もかも忘れて。そうして。




「〈あめふらし〉はどこにいるんだ」
 もう一度、ダイが言った。私は、片方の視界を〈庭〉へと集中する。
「〈あめふらし〉がいれば、この庭に雨を降らせてくれる。この庭を救ってくれるんだ」
 〈あめふらし〉を求める声が、じわじわと広がってゆく。みんなが口々にその名前を呼ぶ。
 それこそ魔法の呪文みたいに、繰り返す。

 ……〈あめふらし〉はここにいる。私の〈庭〉にいる。今も私の隣に。

 みんなは〈庭〉に雨を降らせることが出来ない。みんなの〈庭〉に雨は降らない。
 私だって、〈あめふらし〉がいなければ、日照りの中で、徐々に乾いてゆく磯辺を、見守っていることしかできなかったのだろう。何も出来ないこの手をぎゅっと握り締め、雨よ降れと、あても無い祈りをささげているしか出来なかったのだろう。

 どうしよう、ザリガニが、オレのザリガニが。あたしのドジョウも。ああ、枯れてしまう、枯れてしまうよ。うそよ、サツマイモなのに、干ばつにだって強いんでしょう。びちびちとはねる鯉、登るための滝がもうない。川は流れることもできずにのたくって、いつかどろどろと腐ってゆく。その場にとどこおる水。足りない。喉の奥にひりつくような感触。道にはりつくミミズのミイラ。ああ、乾いてゆく。土がぱさぱさに。何も生み出さない土壌。乾いてゆく。体中の水分が、外に奪われ、ぼろぼろとはがれ落ちる、つなぎとめるものももうない。誰か助けて、僕のオオカミを、わたしのウグイスを、彼のヒトデを、彼女のアメーバを、この庭を。乾いてゆくこの庭を、誰かたすけて。

 庭に雨を降らす方法を、私が知っているのなら、みんなに教えてあげられる。
 でも、雨を降らせているのはこの〈あめふらし〉。私には何も出来やしない。

 ねぇ、みんなの庭にも雨を降らせてよ。

 私は頼みこむ。けれど、

 出来ないよ、と〈あめふらし〉は答える。

 どうして?

 庭に雨を降らせるためには、その庭の持ち主が、雨を望まなくてはいけない。心のそこから、望むんだ。それだけで〈あめふらし〉は庭を訪れる。みんなが雨を忘れてしまえば、〈あめふらし〉はどこへもいけない。
 
 みんなが雨を望んでいないっていうの?
 嘘だ、と私は思う。だって、あんなにもみんな〈あめふらし〉の名前を呼んでいる。〈庭〉に雨を降らせてって祈ってる。

 望んでなんていないさ。
 〈あめふらし〉は少し自嘲的に言う。
 彼らが望んでいるのは自分の〈庭〉を守ることだけだ。〈雨〉を望んでいる奴なんて誰もいない。本当は〈雨〉がどんなものだったのかなんて、みんな忘れてしまった。だから、彼らの〈庭〉には雨が降らない。

 忘れてしまった? そんなはずはない。教室の窓の外では、今も雨が降っている。
 雨水は地面に吸収されきらずに、どうどうと、川のように流れている。こんな大雨を、忘れてしまえるはずなんてない。
 見ないふりはできても、心の底から忘れてしまうなんて、そんなのってない。

 忘れたんだよ。
〈あめふらし〉は言った。
 外にはいつだって雨が降る、だから、忘れてしまえるんだ。部屋の中にこもって、雨の感触をすべて忘れてしまうんだ。窓の外に降る雨は、四角く切り取られた映像にしか見えない。今、庭に必要な〈雨〉と、窓の外の映像が結びつかない。ましてやそれが、海や川を作る〈水〉と同じものだなんて思い至らない。自分の体の中にだって、水は流れているのに。
 
 だから〈あめふらし〉には、他に居場所が無いんだ。

 〈あめふらし〉が泣いていた。身をよじり、涙を流していた。
  涙はやはり空へ昇って、それも雨になってこぼれおちる。私の頬を雨がつたい、まるで私も泣いているようだった。
 わけもわからずに泣いているようだった。



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