私は目を開く。
外界の雨はやはり降り続け、みんなは窓のほうを見ることなく、ひたすらに雨を願っている。〈庭〉を救ってくれる雨を待ち望んでいる。
私は唇を噛みしめる。
私が、やらなくてはならない。
がしゃーん、派手な音が鳴り響き、窓ガラスが割れる。
ごうと突風が教室を駆け抜ける。大きな雨粒がしぶきをたてながら、部屋の中へ入ってくる。
私の手には、今ガラスを叩き割ったばかりの椅子が握られている。
「何やってんの!?」
「お前正気かよ!」
「やっ…何…冷たいっ」
教室中の視線が私につきささる。けれど私は作業をやめない。もう一度椅子を叩きつける。音が耳をつんざく。ガラスに開いた穴が広がる。吹き抜ける風、もっと強く、私を打つ雨。
「雨は降っているわ!!」
私は叫んだ。
「見て! 教室の外。雨は降っているのよ!」
「あれが、雨……?」
ルリがいぶかしげに言った。
「雨だよ。みんなが欲しがってる雨は、いつだってここで降ってる」
「……あれが、雨なの? あの、私たちを閉じ込めてるヤツが?」
「閉じ込めてる?」
「そうだよ。あれのせいで、わたしたちはこんな所にこもってなきゃいけないんじゃない。外には庭より広い場所があるはずなのに、ここにいなくちゃいけないんじゃない」
ルリの目が私を射る。それはあの時と同じ、失望に満ちた瞳。私は喉を詰まらせる。体がすくんでしまう。けれど、今度は負けるわけにはいかない。
「私たち、閉じ込められてなんてないよ」
ルリを見つめながら一言。私は割れた窓ガラスから身を乗り出して、ベランダへと出る。
とたんに私はずぶ濡れ、びしょびしょ、ぐしょぐしょ、ひと泳ぎしてきたかのように。
髪の毛は顔に張り付く。服が水を吸い込んで重くなる。感じる、水のにおい。手が冷たい。息が苦しいのは、始終叩きつける雨のせいか、それとも。
「これが雨だよ。怖がることなんて無い。みんな、でてきてよ。雨は私たちをおびやかそうだなんてしてないよ。私たちが勝手におびえて、閉じこもってるだけだよ!」
私は微笑みを浮かべる。その表情が、教室の中にいるみんなに見えているのかはわからない。雨はまるで壁のように私の視界をおおう。
ざあざあという音にも負けないように、声を張り上げる。
「みんな、出てきてよ! 雨が降っていても、外には出られる。水が、ほてった体を冷やしてくれる。一緒に遊べるよ! 庭じゃなくても、外の空気は吸えるんだよ!」
私はベランダの手すりに足をかけ、そして下方の流れに飛び込んだ。
大丈夫、流れる水はきれい。飲み込まれてしまうことは無い。
「みんな! 雨よ! これが雨よ!」
私は叫ぶ。叫ぶ。
それはよろこびの声だ。
今、私はこの雨に、じかに触れ合っている。体の中を流れる血が、引き離された同胞を見つけて熱くなる。水の流れに雨がしみこみ、すべてがシンクロしてゆく。
瞬間、私のそばで、流れが大きなしぶきを上げた。あわ立つ水面から顔を出す、タクとキイチ。
「よ」
「びしょ濡れになりにきたよ」
ふるふると首を振り、キイチは顔についた水滴を振り払おうとする。が、すかさず雨はその顔を打つ。
「駄目だこりゃあ。濡れっぱなしだね」
「でも、このくらい思いっきり濡れるのは、悪くねぇな」
タクが笑う。その口の中にも水が入り込み、タクは思い切りむせる。
「いやっほーい!」
あのすっとんきょうな声はシーナ。小柄なシーナの体が雨と一緒に落ちてくる。
「あーっ、気持ちいいじゃない! これ!」
その声に誘われてか、次々と、みんなはベランダにでて、そして水の中へ飛び込む。ミヤも、サチコも、ダイも。抵抗していたソウイチも、
「おら、お前もいくの!」
とユータにむりやり手をとられ、ベランダから飛び降りる。
最後まで教室に残っていたのは、ルリだけだった。
「ルリ!」
「なんで? なんでみんな平気なの? やだよ、やだよぉ」
ルリは窓際にしゃがみこんでしまった。私は水をかきわけて、もう一度、ベランダまで登った。
「ルリ……大丈夫だよ」
私が手をかけると、びくんとルリの体が震えた。私はしゃがみこんで、ルリと目を合わせる。その手を握り締める。
「手、つめたい……」
ルリは、ようやく小さな声を出した。
「そりゃあ、まあ、雨に濡れましたから」
「ほんとにもう、びしょ濡れだね。平気なの?」
「平気だよ。プールで泳いだ後とどこが違うの、って感じ」
ルリがくすくすと笑いをもらす。私はその機会をのがさず尋ねた。
「何で、あの時……庭に来てくれなかったの?」
ルリは目を見開いて、ふるふると首を振った。
「違うの、わたし、拒絶されたんだと思ったの。だって、庭にあんなの、降ってるから」
窓の外を指差す彼女の顔は、ほとんど泣き笑いになっていた。
「ね、だって、あれ……雨?って、まるでこっちへ来るなって叫んでるみたい」
「そんなことないよ!」
私は叫んだ。
「雨は、私たちをはじきだそうなんて思ってないよ。そりゃあ服だってぐしょぐしょになるけど……」
私はふと思い立ち、再びベランダにでる。手の中に雨水をためて、そしてまたルリの元へ戻った。
「ルリ、これが雨だよ。さわってみてよ」
「え?」
「さわってみてよ、雨が何なのか、わかると思うから」
ルリは一瞬息を呑んで、おそるおそる手を雨水にふれさせた。そのまま指を沈めて、何度か雨をからめる。
「みず、だね」
「そうだよ、水だよ。雨って、水が空から落ちてきてるだけなんだよ。ぜんぜん、怖いものなんかじゃなくって……」
私の言葉の途中で、ルリはすっくと立ち上がって、ベランダのほうへと歩いてゆく。
「怖くなんて、ないんだよね?」
窓から足を踏み出す。一歩、それだけで、ルリの体は雨に打たれる。
私もすぐにベランダへ駆けつけた。ルリの手をとって、一緒に雨の中へ飛びこんだ。
おお、とみんなが声をあげた。
雨の川から顔を出すと、目の前にルリの笑顔があった。
私も思わず笑ってしまった。
その笑いが伝染したみたいに、みんながみんな、笑い始めた。吹き付ける、雨と風の中で。
視界は雨のベールにさえぎられて、冷たさで皮膚感覚だっておかしくなりかけているのに、みんな笑っているのがわかる。
私たちは、晴れた空を見たことが無い。
だけど、こうやって雨の降る中へ出てきたのも、初めてだったのだ。
気付けば、私たちの前に、ふよふよと浮かんでいるものがあった。
「見て!」
それは〈あめふらし〉の大群だった。どこからやってきたのか、いつの間にこんなに増えていたのかわからない。けれど、それは確かに〈あめふらし〉の仲間だった。雨の中をふよふよ、泳いでわたってゆく。紫の液を吐き出しながら、雨を呼んで漂っている。
「……〈あめふらし〉よ」
「あれが? あれは、カタツムリじゃないの?」
イチコが言う。
私に見えているのは、もちろんアメフラシにそっくりな、私の〈あめふらし〉だ。
けれど、他のみんなには、〈あめふらし〉はそれぞれ違った形に見えているのかもしれなかった。
イチコにはあれがカタツムリに見える。ナツミにはミドリムシに見えるのかな。
「 〈あめふらし〉……」
見上げれば、今まで雲だと思っていたものは、すべて〈あめふらし〉の群れだった。
〈あめふらし〉がびっしりと、空をおおいつくし、そして雨を吐き出している。その身を雨へと変えている。
「やだっ……」
近くを漂っていた〈あめふらし〉が、カナに張り付いた。振り払おうともがくカナ、けれど〈あめふらし〉は離れようとしない。
「やめろ、近づくな!」
ソウイチが悲鳴をあげる。たくさんの〈あめふらし〉がソウイチをとりかこむ。
まだまだ足りないとでもいうように、〈あめふらし〉は空から舞い降りて、それぞれ、みんなにとりすがろうとする。
「何なんだよこれ! 〈あめふらし〉ってこんなのなのかよ!」
マイが大声をあげる。
「こいつら、あたしを喰う気なのか!? なんで張り付いてくんだよっ! なんでとれねぇんだよ!」
「違うわ!」
私はマイの困惑を断ち切るように叫んだ。
「違う、みんな、〈あめふらし〉を受け入れるの。私たちが、庭に〈あめふらし〉を連れて行くのよ」
「受け入れる?」
ハルが問うた。
追いすがる〈あめふらし〉との格闘の手は、止まっている。
「そう、〈あめふらし〉を……ううん、〈雨〉を受け入れるの。私たち、〈雨〉を見ない振りして、忘れて、だから〈あめふらし〉、庭にいられなかったのよ。庭は、私たちの心に影響されている。〈雨〉を拒否した私たちは、私たちの中にいた〈あめふらし〉を追い出したのよ。」
ハルが一番はじめに目を閉じた。手を広げて、雨を感じるように。雨粒のひとつひとつに、体中の水分を同調させて。川を下り、海になり、空へ登り、また雨になって川へと戻る。その繰り返しの中に、私たちがいる。そばにいた〈あめふらし〉たちがハルの中へ吸い込まれてゆくように。
「……消えた」
呆然と、タクが言った。
「雨だ!」
ハルが声を上げた。
「みんな! 庭に、僕の庭に雨が降ってる! 降ってるよ! アジサイが、雨に打たれて、葉をきらめかせて……」
「アタシんとこもだよっ!」
〈あめふらし〉を抱きしめながら、イチコが言う。
「雨、降った。はじめてだよ……。ねぇ、アタシのカタちゃんたちが、動いてる。一生懸命角出して、動いてるよっ。〈あめふらし〉が来てくれたんだよ!」
イチコの歓声を聞き、カナが恐る恐るといったようすで〈あめふらし〉に手を伸ばした。そっとひと撫で。それだけで〈あめふらし〉はカナの中に返る。
カナがやわらかく笑った。それだけで、彼女の庭に何が起こったのかがわかった。
みんなが先を争うように、〈あめふらし〉を受け入れ始める。
〈あめふらし〉は、しゅわしゅわと溶けて、消えてゆく。雨の中にまぎれて、私たちとひとつになって、その形を失ってゆく。
「ねえ……あれ」
はじめに気付いたはルリだった。
〈あめふらし〉の大群だった雲は、いつの間にか雲にもどり、そしてその切れ目から、かすかに光がのぞいていたのだ。
うすい膜のような光は雨にかすみ、けれど確かにそこで輝いていた。
それは、ほんの一瞬のことだったけれど、私たちにとっては充分だった。
晴れた空は、どこにもない夢なんかではなく、雲をへだてたその上に存在しているのだと、納得するためには充分だった。
わあ、と、誰かが声を上げた。それを皮切りに、みんなが次々に声を上げる。
そうしなければたまらない気分だった。私たちはそのまま、叫び続けた。
雨の音すらも、その叫びを歓迎しているようだった。
「……〈あめふらし〉、これで、どう?」
私は、他のみんなには聞こえないようにつぶやいた。私の庭の中で、〈あめふらし〉が笑ってくれたような気がした。
そして、今でも、私の庭には〈あめふらし〉が住んでいる。
FIN.
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