*私の庭にはあめふらし*



「もうそろそろ雨が降ってもいい頃なのに」
 とハルが言った。
「せっかく花が咲いたのに、僕のアジサイ、元気が無いように見えるんだ。アジサイには雨がなきゃ駄目なんだよね。ひょっとして枯れちゃうかな」

「ほんとにそうね」
 とカナが答えた。
「私の庭の池も、干からびそうなの、からっから。水面なんてもうコイの背中でぎっしりだし。水の中の酸素も足りなくなってるみたい」

「はいはい!」
 とイチコが手を挙げた。
「アタシんとこもっと危険。メインがカタツムリだもん、壁に張り付いて、どんどん干からびて死んでくんだよ。もうたまんないよぉ。カタちゃん、アタシ可愛がってたのに」

「俺はまだ平気だ」
 とタクが胸を張った。
「俺の庭は砂漠だからな、多少雨が降らなくても平気さ。サボテンだってまだまだ生き生きしてる。ラクダもゆうゆう歩いてるぜ」

「でも」
 とシーナが返した。
「あたしの庭も砂漠だけれど、みんなそろって雨乞いしてるよ。庭に唯一の井戸が枯れかけてるみたいでさ。人間が一番苦しそう。ちょっと見てられないよ、赤ちゃんとか、わあわあ泣いてるの。水が欲しいってさ」

「きちんと準備をしないからさ」
 とソウイチがあきれたように首を振った。
「ボクみたいに、地下水をためるためのブナ林から整備していけば、水不足なんかで困らないさ。やっぱり管理が大切だよ、庭の育成には。先生に習ったじゃないか。なあ?」

「悪いけど」
 とユータがまぜっかえした。
「うちの庭はそんなに面積がないんだ。俺は最小タイプしか造れなかったからね、寒天培地で細菌育てるのが精一杯。そ、そ、そ。俺一人入れないあのちいーさな庭。細菌のコロニーがぽつぽつ見えるくらい」

「あ、ごめん、細菌って今ダメなんだ」
 ミヤが目を伏せた。
「この間それでニワトリが一羽、死んだんだよ。うん、ちょっと前に流行った病気のせい。ニワトリは二羽じゃなきゃ、意味無いんだけどね。仕方ないから、今は庭に埴輪、おいてんだ」

「あんなに庭のニワトリに固執してたのにねぇ」
 ナツミが同意した。
「ユータも細菌じゃなくってさ、プランクトンか何か育てたらどう? ミドリムシっていいわよ。くりくり回りながら水、横切っていくんだ。あれなら面積も充分だし」

「水系は危険だって言い合ってたばかりじゃん」
 マイが突っ込みを入れた。
「やっぱ今は空だよ、空。上昇気流に乗ってくワシ、あれがサイコーだって。な? ああ、でも久しぶりに虹、見たいな。空気が乾ききってるから、見えないんだよな」




 教室の中はあいも変わらずざわついていて、だけどそんなおしゃべりも、窓の外の激しい音にかき消されそうだ。
 窓の外でざあざあいっている、本物の雨の音。窓も天井も、大きな雨粒を叩きつけられて、がんがんと盛大なドラムを鳴らしている。
 だけどみんなは、窓の外なんて見ないふりだ。見ないふりで、自分の〈庭〉の心配ばかりしている。
 一年中晴れた〈庭〉では、いつだって水不足。教室の外にはいくらだって雨が降っているのに。
 でも、みんなが〈庭〉のことばかり話すのもわかる気がする。
 だってこの大雨じゃあ、外へなんて出ていけっこない。ずっとずっと、この先も、外になんて出られない。私たちはもう、知っている。

 私たちが生まれたころに、この大雨は降り始め、そして一度だってやんだことはない。これからやむことだって無いだろう。
 私たちは、この教室のある一角に生まれ、それから、ずっとここで暮らしてきた。外の空気を吸うことも無く、ただ、この建物の中に、身を隠すように。
 ざあざあ降りの雨をしのぐため、ここに立ち寄ったはずなのに、雨はもう二度とやまない。
 それは雨宿りなんかじゃなくて、私たちは生まれた時から、この軒先にたたずんでいるだけ。
 だったら、外の世界なんて無くたって同じだ。どうせ、外に出て何があるのかだなんて、私たちは知らないのだ。
 雨しか降らない世界なんていらない。

 それに、私たちには<庭>がある。
 いつだって晴れていて、いつだって遊びにゆける、自分だけの〈庭〉を持っているのだ。
 たとえそれが、自分の頭の中だけにしかないとわかっていても。




 〈庭〉の初期設定をしたとき、みんなが妙にハイになっていたのを覚えている。

 頭の中に新しく〈庭〉のための場所を作るのだから、いつもと感覚が違ってくるのはあたりまえだよ、と先生には言われたけれど、あの時の気持ちの高ぶりは、多分それだけではなかった。
 教室よりも広い場所なんて想像もつかなかったし、人間以外の生き物がいることすら、本で見たことしかなかった。
 その日は、知らなかったことばかり聞かされて、私たちはもうはちきれそうだった。否が応でも期待は高まる。

 〈庭〉はもともと、生き物の勉強をする学生たちのために、先生よりずっと昔の人たちが作ったシステムだったらしい。
 私たちの先生は、その〈庭〉を、私たちにも使えるように組み立てなおしてくれたのだ。
 外遊びが出来ないんじゃあ、きみたちも退屈だろうから、と先生は笑いながら言っていた。
 他にも先生は、〈庭〉の説明をいろいろしてくれた。はじめに基礎的な物理法則を書き込むだとか、〈庭〉は脳みその余剰領域を使って発達してゆく有機体だとか、感覚野を直接刺激する存在だとか、なんとかかんとか。そんな小難しい話を聞いていたのなんて、生真面目なソウイチくらいだ。
 ざわめきの中、かすかに聞こえてくる先生の話に、私はまだ見ぬ〈庭〉へと空想をはためかせていた。

「〈庭〉は現実には存在しません。けれど、みなさんは自分の〈庭〉に入ることができます。正確にはそのような感覚を持ちます。一度設定をしてしまえば、後のやり方は簡単です。キーワード、これは各自で決めることができますが、ここでは『〈庭〉へ』という言葉にしておきましょう、これを頭の中で言語化する事によって、その信号を察知した脳の中枢部が、感覚の入力モードを〈庭〉へと切り替えるわけです。ここに帰ってくるときは、キーワードを逆さに言語化します」

「ようするに、呪文をとなえれば魔法の国にいける、ってことかな?」
 そうやって耳打ちしてきたのはルリだった。ルリらしいなと私は思ったけれど、結構、的確な比喩だったのかもしれない。
 目を閉じて、呪文をとなえて1・2・3。それだけで私たちは〈庭〉へと飛べる。
 楽しみだよね、カナが言うと、ルリはしまりなく笑った。
 ほんとに、楽しみだよね。私だって多分、人のことは言えない顔をしていたんだろう。お互いの表情を見て、私たちはまた、笑ってしまった。

 一人一人呼ばれて、先生の質問に答えながら、頭の中をいじくる。ほとんどは機械まかせで、設定が終了。
 さっそく私たちは〈庭〉を見てみようと、キーワードを唱えた。
 そして数秒、閉じていたはずの目に、強烈な光が飛び込んできた。一瞬何が起こったのかわからなかった。
 私はすでに〈庭〉にいた。
 水色の絵の具を塗りたくったような空が、私の視界をおおっていた。
 晴れた空、太陽、風、初めての感覚は、どこか作り物のようですらあった。ここが私の〈庭〉、とつぶやくと、とたんに周りがきらめきだすように感じた。

 どきどきと、心臓が鳴っていた。

 魔法の国、とはよく言ったもので、私たちにとっての〈庭〉は確かにそれだった。
 〈庭〉では、思う存分、乾いた空気を吸うことができた。日光浴をすることだって出来た。晴れろ、と願えば必ず晴れる、いつだって遊びに出られる。駆け回って、転んで、そのまま寝そべって。
 〈庭〉でなら、どんなことだって出来た。
 何かあると、いや、何も無くても、私たちはすぐに〈庭〉へと飛んだ。
 もちろん、先生の話の途中に〈庭〉で遊んでいたらすぐにバレて、こっぴどくしかられた。それでも私たちは、〈庭〉へ行くのをやめられなかった。
 目を閉じて、ほんの数秒。
 もう、キーワードを声に出して言わなくても、頭の中で唱えるだけで、すぐに庭にたどり着く。
 コツを覚えるのに、それほど時間はかからなかった。今では、片方の目を教室に残したまま、もう片方で〈庭〉を見ることもできる。

 私たちはそれぞれの〈庭〉を、完全に自分のものにしたと思っていた。
 だからこそ、気付かなかったのかもしれない。〈庭〉には雨が降らない。そんな単純なことに、池が干上がり、花たちが枯れ始めるまで。



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