僕たちは公園を後にした。いつの間にか、青空は夕焼け色へと変貌している。
 僕たちは、その風景の中を、ふたりで歩いた。昨日と同じように、けれども昨日よりも少し速度を緩めて、歩いていた。
 遠くの方に見える夕日が、美苗さんのやわらかい髪の毛の輪郭を彩っている。その光がよく似合っていた。


 「あのね、委員長。」

 昨日佐倉さんと別れた交差点の前で、彼女が突然、僕のほうを向いていった。

「あたしも、委員長の事、『秀人君』って、呼んでみてもいいかなあ?」

 僕は戸惑った。僕がさっき、『佐倉さん』のことを話してしまったせいで、そんな風に考えたのかと思ったのだ。
 僕のいぶかしげな視線に気付いたのか、美苗さんは慌てて、胸の前で手を横に振って見せる。

「違う違う、そんなんじゃなくって、なんとなく、『委員長』よりもそっちの方が似合ってるような気がしちゃっただけだから。
 …嫌なら、別にいいんだけどさ。」

 嫌な気はしなかった。
 ただ、美苗さんが佐倉さんの事を気にしているのだったら、それはやはり、おかしな事だと思った。彼女が無理をして、佐倉さんのように振舞おうとしているのではないかと、それが気がかりだった。

「心配しなくても大丈夫だよ。あたしは気にしてない。ほら、あたしって割と、ずぶといだけがとりえってとこあるから。」
「でも…。」
「あたしが許すって言ってるんだから、それ以上の心配は無駄などころか逆にあたしを傷つけるだけ、そのくらいの事はわかるでしょ。仮にも学級委員長なんだからさ。オーケー?」

 そこまで言われてしまうと、僕はもう頷くしかなかった。
 佐倉さんも美苗さんも二人して、人を罠にはめるのが上手いようだ、と僕は少しだけあきれ、微かに笑いを漏らした。
 それを見て、彼女はにこりと笑って、こぶしを突き上げガッツポーズをとった。僕の表情を、了解のしるしと受けとったらしい。
 その仕草は、まるで小さな妹のものを見ているようで、微笑ましかった。

「じゃあ秀人君、また明日ね。」

 彼女はさっそく僕を、『秀人君』と呼ぶと、佐倉さんと全く同じ事を言って、全く同じ方向へとかけていった。
 その後ろ姿は佐倉さんとは違ったけれど、僕は、もうそれが気にならなかった。

 しばらく遠ざかる彼女を見てから、くるりと振り返る。僕の家は、ここから道をまっすぐ行ったところにあるのだ。

「…また明日、ね。」

 僕はその言葉を、自分の唇によってつむいでみた。
 昨日も今日も、この同じ言葉で、彼女たちと別れた。何故だか少しばかり、胸騒ぎがしたのだが、僕はそれを押さえつけるようにして、家路をたどった。





 さらにその翌日、学校へ行った僕を待っていたのは、佐倉さんの優しい笑顔だった。
 佐倉さんはわざわざ、七組の教室の前で、僕の登校するのを待ってくれていたようだった。一日ぶりに会った彼女の口からは、こんな言葉を聞かされる事になった。

「昨日持って来てくれた議案、読ませてもらったわ。これならきっと、今日の放課後の委員会も、上手く行くと思うの。」

 佐倉さんは長い両腕の中に、数枚のレポート用紙を包んでいた。端のほうが少しだけ折れ曲がっている。並んでいるのは、鉛筆で書かれた直線的な文字。
 それは紛れもなく、一昨日の夜に僕が必死で書いた、学級委員会のための議案書だった。

「これ…どうしたの?」

 僕は思わず尋ねていた。
 あの議案書を、昨日僕は美苗さんに渡そうとして、結局渡せないままに鞄の中にしまっていたのだ。その事に、僕は昨日の夜、家に帰ってから気がついた。
 今でも議案書は、僕のしょっている鞄のポケットの中にあるはずなのだ。それを今、佐倉さんがもっている。

「もちろん、昨日秀人君からもらったのよ?明日までに読んでおいて、そして意見をくれって言われて。
 何度も読み返したけれど、不備があるとは思われなかったわ。大丈夫、自信持っていいと思うわよ。」

 佐倉さんは僕の肩を叩いた。長い黒髪が、ふわりと僕の体にかかる。

「僕は昨日、学校に来ていたの…?」
「なにいってるのよ、当たり前でしょう?きちんと授業だって受けていたじゃない。」
「じゃあ…あれは…一体?」


 あの、もうひとりの佐倉美苗は、一体なんだったのだろうか。
 僕が昨日学校に来ていたというのなら、一体あれは、誰だったのだろうか。やはり、僕を騙すためにみんなが仕組んだ事だったのか?
 けれど、美苗さんの怒りは涙は、やはり今どれだけ思い返してみても、嘘だとは思えなかった。それに、議案書のことがある。

 僕はあわてて鞄をどさりと降ろし、そこが廊下である事も考えずに中を探り始めた。
 教科書の詰まった鞄の、一番手前側、内ポケットの中。学級委員会関連の雑多な書類に混じって、確かに、昨日の議案書が入っている。かすれかけた鉛筆の文字は、先ほど佐倉さんに見せられたものと全く同じだった。

「秀人君、わざわざ二部も作ってきたの?何も先生に言えば職員室ででもコピーさせてもらえるのに…。」
「いや、これは…その…。」

 佐倉さんは、何の事情も知らないのだ。僕が昨日何処に行ってきたのかも、誰に会ってきたのかも、何をしてきたのかも。
 僕は、議案書を持ったままへたりこんでしまった。

「秀人君、どうしたの?」

 昨日出会った佐倉美苗の顔を思い出していた。
 中学三年生にしては童顔の、ふわふわとした、どこかの物語に出てくる姫のような顔立ち。無垢といった感じに、きらきらと光っている目。
 あの佐倉美苗は、何処へ行ってしまう事になるのだろうか。あの明るい笑顔は、一体何処へいってしまうことになるのだろうか。

 彼女は一体、誰だったのだろうか。

 そこへ、佐倉さんが手をかけた。彼女も僕と目線をあわせ、しゃがみこむ。
 制服のズボンの生地を通して、廊下の冷たさが足に染み渡ってくる。

「大丈夫?」

 心配そうな瞳が僕を覗き込む。

 ここにも佐倉さんがいる。佐倉美苗と名乗る少女が、ここにはいる。そして、ここではないまた別の場所にも、佐倉美苗という少女がいる。
 それが一体何処なのかはわからないけれど、どこかにもうひとりの佐倉美苗が存在している。
 そして、二人ともが、確かに生きている。ふたりの佐倉美苗はどちらもかかせないものとして生きているのだ。
 どちらかが否定されていいものではない。


 「いや、大丈夫…ありがとう、佐倉さん。」

 僕は彼女の手は借りずに立ち上がった。そして僕は、佐倉さんの眼をまっすぐに見つめた。

「少しだけ、話したいことがあるんだけれど、いい?」

 佐倉さんは、一瞬目を見開くと、表情を崩し、

「いいわよ。」

 と答えた。

 僕は、昨日の出来事を話すつもりだった。昨日出会った、もうひとりの佐倉美苗のことを話すつもりだった。
 何故だかわからないのだけれども、美苗さんのことを、佐倉さんにだけは知っておいてもらわなければいけないと思った。
 どこかで知らない場所で生きているもうひとりの彼女の話をしてあげたかったのだ。



 それは、ひょっとしたら、昨日の彼女のように、佐倉さんを戸惑わせる結果になるのかもしれなかった。
 それでも僕は話したい、話さなくてはならないと思っていた。

「昨日僕は、少しだけ不思議な経験をしたんだ…。」


 そして僕は、今ここにいる佐倉美苗に向かって、昨日の話を始めた。




FIN.     




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