*夢のなかの天使のうた*



 ぼくはある日、羽根のない天使を見つける。
 天使は何も言わずに、ただ遠いどこかを見ている。
 彼女の背中には本来純白の翼があったのだ。僕はそれを、背中の傷跡によって知った。まだ彼女の白い肌に赤く残っている血の跡が痛々しい。


   もう帰れない空の下で、あなたの夢を見ている私。
   優しいあなたは、遥か彼方の幻影となった。
   あなたはどこにもいない。私はどこにもいけない。



『君には僕だけのものでいてほしいんだ。もう、どこにも行かないで。』



 ぼくの前に現れたのは翼をもがれた天使。空には帰れない悲しい天使。
 彼女の瞳の色は、あの空と同じ色。ぼくの恋焦がれる空の色だ。
 ぼくが彼女にしてあげられる事は何もないのだろうか。あの空色の瞳が、悲しげな瞳が、微笑んでくれるようにはならないのだろうか。
 翼の代わりになる何かが欲しい。



   目を閉じれば感じる、あなたの笑顔は甘い夢。
   今の私が見る夢は、故郷の色、空の青。
   青い青い夢の中、あなたには笑顔でいて欲しかった。
   あの時のままで、ずっと。



『ずっと僕のそばにいてくれるなら、なら、こんなものいらないよね…。』

   …だけど、あの人は言ったのだ。



 天使の見ているものはなんだろう。
 無限の夢幻のあの空か。それとも遠い誰かの面影。
 ぼくには彼女を見ているしか出来ない。救いたいという気持ちだけが空回りしている。無力な自分を、責めたてる。

 天使は日に日に弱ってゆく。
 それでも彼女はどこか遠くを見つめている。



   遠くへ行って欲しくなかった。それは私の願いだったのに。



『もうどこにも行かせない。僕だけの天使…』

   …そんな言葉、聞きたくなかった。



 彼女を空へと帰してあげたい。空色の瞳が微笑むのを見たい。
 だけど、どうやって。
 彼女の羽を奪った誰かは、空を憎んでいたのだろうか。彼女の帰るべき故郷を、憎んでいたのだろうか。



   私はあの頃のあなただけを、ずっと、ずっと…



『君は僕だけのものだよ。誰にも渡さない。どこにも行かせない。』

   …そんなあなたは、いらない。私はそんなあなたは欲しくない。




ドウカオネガイ。ワタシヲシバラナイデ。
ソノママノアナタデ、ワタシノソバニイテ。
ワタシヲハナサナイデ、デモコワサナイデ。




『だから…僕から離れてゆくための翼なんて、もう、いらない。』


ヒトハソレヲ、アイトヨブノカ





 「きみは空へ帰るべきだよ。そのためにぼくが出来る事があれば、言ってほしい。」

 ぼくは天使に語りかける。
 「…帰りたい?」
 彼女はゆっくりと首を振る。ぼくの言葉に対する、初めての反応。
 「どうして?」
 なおもぼくは問い掛ける。けれども、彼女は何も言わない。
 ぼくの事など見てもいないように。ぼくなど彼女の中に存在しないかのように。



   このままでいいの、夢の中で、幻影のあなたで。
   私は遠いあなたの夢を見る。



 目を閉じている彼女の顔。決してぼくを見ない瞳。 空色の瞳はもう開かれない。

 ようやく、ぼくにもわかった。彼女は夢を見ているのだ。
 夢だけを、見ているのだ。



 翼を無くした天使は夢を見ている。それは、永遠に覚めない夢。
 彼女はいつまでもぼくの隣で夢を見ている。
 …ならば、ぼくも隣で夢を見よう。きみの目覚める夢を。空色の夢を。



『僕の犯したひとつの罪が、君を夢の中に閉じ込めた。
 君の姿はもう見えない。
 …そう、そうやって君は僕から離れてゆくんだね。』



僕は君の夢を見る。あなたは私の夢を見る。そしてあなたは、どこにもいない。



Fin.     




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