*桜色の夢の中*


 僕が目を覚ますと、視界に黄色いものが飛び込んできた。黄色くて、ふさふさして て、ふわふわの何か。
 ……ぬいぐるみ?ちょっぴり間抜けな顔をした、黄色いくまのぬ いぐるみだ。
 そのぬいぐるみの横から、ちょこんと小さな顔がこちらを覗く。瞳のく りくりしたあどけない顔。

「目、覚めたの?」
「き…みは?」

 高い声。少女独特のものだ。
 僕はこちらを見つめている彼女の顔に、ちっとも見覚え がない。誰だろう。
 僕の不信そうな表情に気付かずに、少女は無邪気な顔で言う。

「真由。この子はぷーた。よろしくね。」

 真由はぷーたを器用に操って、僕に向かってお辞儀をさせた。
 ぷーたの首に結ばれて いる緑のリボンがふわりと揺れる。

「おにーさん、本当に目、覚めたの?」
「え?」

 僕は辺りを見回す。見覚えのない風景だ。
 いや、言い直そう。見たこともないような 風景だ。
 芝生(というのが最も適切な表現だろうが、これは一体何の草なのだろう ?)の上に寝転がっている僕の真正面に薄桃色の雲。
 桜だ。七分咲き程度の、一番綺 麗と言われる頃の桜。
 だけど、僕の記憶違いでなければ、今は五月だ。桜の時期には 遅すぎる。
 そして、その向こうに広がっているのは、澄んだ空色…のはずなのだが、 何故か桜と区別つかないようなピンク色が見える。

 人間はこの真由というらしい少女 しか見当たらない。いつもは人でごったがえしてうるさいほどの街なのに。人間どこ ろか建物の一つも……。
 あるのは、なんと表現してよいのかわからないようなものたち ばかりだ。
 一言で言ってしまえば、天才芸術家のオブジェ、というのが一番近いだろ うか。ものすごく抽象的な形ばかりが並んでいる。児童公園の遊具程の統一性すらな い。
 ああ、それこそ、子供の描く空想画のような世界と言うのが良いかもしれない。 大人たちにはわからない、子供たちの中だけで完結した世界。
 しかも、ここは全体の 色調が桃色で統一されている。薄かったり、濃かったりのコントラストだけでものが 構成されている。

 僕には外でお昼寝をするような趣味は無い。もしそんな趣味を持っていたとして も、こんな所にいるはずがない。
 僕の記憶している世界は、なんと言ったら良いかわ からないが、もう少し普通だった。

「ここは一体、どこなんだ?」
「夢のなかなの。」
「ゆめ?」
「ここはね、誰かの夢のなかなのよ。ピンク色の夢のなかなの。ピンクはね、真由の 大好きな色なのよ。」

 訳がわからなかった。
 僕は夢を見ているのだろうか。真由の言うとおり、ここは夢の 中なのだろうか。
 だが、夢の中の登場人物にそれを指摘されるなどという話は、聞い たことが無かった。ここは本当に、僕の夢の中なのだろうか。
 僕がそう自問した時、 真由がまったく同じことを聞いてきた。

「ここは本当に、おにーさんの夢の中なの?」

 ふわふわ、真由のやわらかそうなワンピースが風にはためいている。
 ぷーたを強く抱 きしめて、真由は続ける。

「おにーさん、目、覚めたよね。なのにどうしてこの夢、終わらないのかなあ。お にーさんが目を覚ませば、夢は終わるって、麻耶、言ってたのに。おかしいの。お にーさんのゆめじゃないのかなあ。」
「僕の夢…。」

 恐ろしいことに思い当たってしまった。
 僕はここで目を覚ます前に、一体どこにいた のだろう。
 こんな場所じゃあなかった。それは覚えている。人はたくさんいたし、建 物もあった。だが、それが一体どんなところだったのか、具体的なことが何一つ思い 出せないのだ。
 それに、もっと恐ろしい問題がある。僕は一体、誰なのか。今までは そんなこと考えもしなかったが、一度気付いてしまうと、いくら思い出そうとしても それが出来ない。
 僕は一体、何処の誰だったのか。
 あるのは非常にぼんやりとしたイ メージだけで…後頭部が痛む。
 僕の頭の中に『記憶喪失』という文字がちらつき始め た。危険を表す赤いシグナルが点滅する。

「夢見てるのはおにーさんじゃあ無いの?じゃあ、一体誰が夢見てるんだろう。」

 僕は一体、誰なんだろう。真由と話していてもどうにもならない。子供のお話に付き 合って入られない。
 僕がとりあえず人を探しに行こうとした時、ちょうど誰かの声が 聞こえた。

「真ー由。」

 子供の声だった。僕は振り返る。そこには、真由とちょうどおなじくらいの背丈の少 年が笑いながら立っていた。

「麻耶!このおにーさんじゃあないのよ。夢を見てるのは。おにーさんは起きたけ ど、まだこの世界は消えたりしてないもん。」

 真由は一生懸命に少年に駆け寄る。小さな歩幅が愛らしい。
 真由は少年に抱きつく。 ぷーたが真由と少年に挟まれて苦しそうだ。
 この少年は麻耶というらしい。そういえ ばさっき、真由がちらりとその名を呼んでいた。

「真由、ぼくから離れちゃあだめだって言っただろ。」
「だって、おにーさんがいつ目を覚ますかわからなかったの。真由がついててあげな いとだめかなって思ったの。」
「真由にはぼくがいないとだめなんだよ。そうしないと、とっても危ないんだか ら。」
「はあい。ごめんね、麻耶。心配かけたの。」

 麻耶はその言葉を聞くと、突然振り返り、僕のほうを向いた。
 にっこりと、精一杯笑 顔を作って、

「ようこそ、おにーさん。ぼくたちの夢の世界へ。」
「は…あ。」

 本当に夢の中にいるようだった。
 桃色の世界の中で遊ぶ少年少女。まるで物語の中か どこかにいるような感じだ。
 感覚がぼやけていて、うまく言葉にならない。自分の視 点が、微妙に定まらない。

「おにーさんも『夢を見てるひと』じゃあなかったんだね。」
「だいじょうぶだよ、真由。夢はきっと覚めるんだから。」
「うん。待ってる。」
「おにーさん、お名前は?」

 麻耶の問いに僕は答えることが出来なかった。何と言っても、何も覚えていないの だ。
 僕はしばらく考えて、言った。


「君たちに付けて貰えると嬉しいな。今僕には名前が無いんだよ。」


すると、真由は嬉しそうに僕を指差した。

「深紅。おにーさんは深紅なの。真由の一番好きな色なの。」
「いいね、真由。その名前。それにしよう。おにーさん、それでいいよね。」
「ああ、うん。」

 僕の新しい名前は深紅、ということになったようだ。
 僕は何度か口の中でその名を転 がしてみる。なかなかいい名前だ。だが、微妙に違和感が付きまとう。まあ、それは 仕方が無い事なのかもしれない。記憶がまったく無いのだから。

「おにーさん、行くの。もうすぐパレードが始まるの。」
「パレード?」
「ここでは毎日パレードがあるんだ。真由が楽しみにしてる。深紅さんも見に行こ う。」

 僕は麻耶の小さな手に引かれた。真由はとても楽しそうにくるくると踊っている。

「パレードなの。パレードなの。」

 真由はまるで体重など無いかのように踊る。ふわりふわりと浮かぶようにしてステッ プを踏んでいる。
 それを見ていた僕は、ふと微笑ましい気持ちになった。

 突然、麻耶が足を止めた。真剣な表情になって、声を潜め、こちらに語りかける。

「深紅さん、これから先、何を見ても、驚いて声をあげたりしないでくださいね。」
「それは一体どういう…」
「しいっ。驚いても、その声が真由に聞こえないようにしてください。真由の夢をこ わしたくないんです。」

 背後から盛大な音が聞こえ出した。あれがパレードの音なのだろうか。
 それは、決し て心地の良い音ではなかった。いや、むしろ震えを誘うような、どちらかといえば無 気味な音。不協和音。
 そう、生理的にとても嫌だと感じるような音。
 あれが、パレー ドの音楽だって?

 僕は恐る恐る振り返る。そこには、とても信じられないような光景が繰り広げられ ていた。

 それは、たとえて言うならば、囚人たちの行列だった。
皆が同じどんよりとした灰 色の服を着て、まったく同じ顔をして、まったく同じ歩調で歩いている。
 肩をだらん と下げて、前屈みになって、ふらりふらりと歩いている。顔には全く生気が無い。
 そ して、その行進を真由は嬉々として眺めているのだ。その表情はとても無邪気で、ま るでこの場にそぐっていなかった。真由だけが際立っていた。
 何というシュールな光 景。これが本当に『パレード』なのだろうか。

「真由…。」
「話し掛けてはいけません。真由は本当にきらびやかなパレードを見ているんで す。」

 麻耶の口調は、真由と話しているときのものとはすでに全く変わっていた。目は真剣 そのものだ。

「麻耶、これは一体?」
「パレード、ですよ。真由にとっては。ここでは真由にとっての真実が、本当になる んです。このパレードは、どこか別の場所から紛れ込んできた悪夢なんです。ここに はそんなもの存在出来ないから、一日経たない間に消えてしまうんですがね。」
「?」
「ここは真由の夢の世界なんです。全てが真由のために存在している。あのパレード だってそう。真由の目を楽しませるためだけに、何処かから紛れ込んでくる悪夢の断 片。」

 真由は相変わらずに、じっとその行列を凝視している。身を乗り出して、瞳を輝かせ て。
 囚人達のうめき声。それでも真由は夢見る瞳で笑っている。

「すごいよ、ねえ、麻耶もおにーさんも一緒に見ようよっ。」
「行きましょう。真由が呼んでる。」

 僕は麻耶に手を引かれて、真由の隣へと行く。真由の笑顔はどこまでも無邪気で、何 も知らない天使のようだった。

 いつのまにか、『パレード』は僕達の前からかき消えていた。歩きながら、真由が 口をとがらせている。

「ああ、終わっちゃった。楽しい時間は過ぎるのが早いって、麻耶が言ってたのはほ んとなの。」
「そうだよね、真由。本当につまらないよ。もっと、ずっと楽しい事が続けばいいの にね。」

 一枚の絵のようなその情景。桜の咲き乱れる中で少年が少女の手を引いている。
 だけ ど、それは、どこか何かがずれているような気がした。何か、恐ろしいほどに違和感 が…。



 その夜、僕たちは、真由たちが『おうち』と呼んでいる大きな木の下で、桜の花び らに埋もれて眠った。
 桜の木にはまだまだたくさんの花がついているのに、この膨大 な量の花びらは、一体何処から持ってきたのだろうか。まあ、こんなおかしな世界の 中では、些細な不思議なのかもしれないが、何故だかむしょうに気になった。
 何処も かしこも桜色の、桜色の夢の中…。
 目をつむったが、僕は眠る事ができなかった。隣 には真由の安らかな寝顔。すうすうと寝息を立てている。僕が眠るのにはこの世界の 夜は明るすぎるのだろうか? 月のような天体は出ていないのだが、たくさんの花びら たちが、それぞれにぼんやりとした光を放っているのだ。
 これでは眠ろうにも眠れな い。
 僕がもとの世界に帰れるのは、一体いつになるんだろう…そう、思った。



 「やっぱり、深紅さんは眠れないんだね。」

僕が考え事をしていると、麻耶が覗き込んできた。まあるい瞳がきらきらと光ってい る。

「ああ、明るすぎるからかもしれない。」

すると、麻耶は意味ありげに笑って、

「違うよ。深紅さんは夢を見る人じゃないからだよ。夢を見られない人は、眠る事な んてできないんだ。」
「僕が夢を見られない…?」
「そうだよ。真由は…真由は今、彼女だけの夢を見ている。桜色の花びらに包まれ て、とても穏やかな夢をね。」
「…なあ、ここは一体、何処なんだ?僕はこの世界の事を、何にも知らない。」

 僕は思い切って尋ねてみた。
 桃色のこの世界は、あまりにもおかしなところが多す ぎる。わからない事だらけで、身動きが取れなくなってしまいそうだ。麻耶ならば、 何か教えてくれるかもしれない。

「さあ。ぼくにも、何処なのかはわからない。ただ、一つだけは知っている。ここ は、真由のために存在してる世界だっていうこと。そして、ぼく自身も真由のために ここにいるんだっていう事。」

 麻耶はそう言うと、遠くを見るような動作をした。
 そして、真由のほうへ近づいてゆ くと、彼女のやわらかい髪の毛を撫でる。
 僕は体を起こした。花びらが僕の体から滑 り落ちてゆく。ぷーたを抱きながら、真由は眠っている。

「真由は本当に純粋なんです。みてください、この寝顔。真由は何にも知らない、悲 しい事は何にも知らないんだ。ぼくは、真由を幸せに出来るんなら、なんだってする つもりなんです。」
「麻耶…。」

 そのときの麻耶の視線はまっすぐで、僕はなんだか感動してしまった。

「そうだ、深紅さん。ぼくの知っている昔話をしてあげるよ。どうせ、眠れないんで しょう?真由からおしえてもらったんだ。」

麻耶は不意に子供らしい表情になると、僕の返事も待たずに、話し出した。



 あるところに、とても平和な村がありました。
その村には、仲の良い兄と妹がおり ました。
 二人は、毎日毎日村で一番大きな桜の木の下で歌を歌い、楽しく過ごしてい たのでしたが、そんなある日、隣の村が攻めてきたのでした。隣の村は、強く凶暴な 人たちを集めて軍隊を作っていたのです。

 軍隊に対抗するすべを、平和な村の人々は 持っておりませんでした。
 村が焼かれ、金品が奪われるのをみている事しか出来な かったのです。

 やがて、村人達が一人一人、殺されてゆきました。ある者は銃で撃た れ、ある者は串刺しにされ、またある者は目をくりぬかれて……。
 村人達の死体は、あの 桜の木の下に積み上げられました。
 軍隊は村の全てのものを奪い取り、破壊し、全て の村人を殺すと、自分達の村まで引き上げてゆきました。

 そのころあの兄妹がどうしていたか、というと、二人は偶然隣の村が攻めてくる前 に、少しはなれた山まで、花摘みに行っていたのです。母親にプレゼントするため に。
 そして、一日かけてたくさんの花を摘んで戻ってきた二人が見たものは、破壊し 尽くされた村と、桜の木の下に積み上げられた村人達の死体でした。

 その中には、二 人の母親の死体もありました。

 それを見つけた妹は泣き叫び、そして力尽きて気を失いました。
 そして兄は、呆然 とそれを見つめておりました。

 そこへ、上のほうから、誰かが声をかけてきました。 深い、優しげな声でした。
 しかし兄が上を向いても、そこには血を吸い上げて赤く染 まった桜の花しかありませんでした。
一体どうした事だろう。兄は不思議がります。

「何を泣いているんだい?」
 やはり、声は上のほうから聞こえます。
 兄は、誰だかわからないその声に向かって、 話し始めました。
 話とはいっても、彼には何もわからなかったので、見ているままを 叫んだだけなのでしたが。

「かわいそうに…わたしが力を貸してあげよう。」

 声は言いました。兄は涙を流すのをとめ、上を見つめました。

「もしかして…あなたは、この桜の木?」
「どうやら、この村人達の血を吸い上げた事で、人間の言葉を話すことが出来るよう になったようなのだ。」
「そんな…そんなことが…。」
「実際に起こったのだよ。」

 兄は信じられない思いで一杯でした。桜の木が話せるようになった理由が、よりに よって、その下でたくさんの人間が死んだ事だというのですから。
 しかし兄は、きっ と唇を結ぶと、木に話し掛けました。

「桜の木、もし、もしできるなら、僕たちのお母さんや、村のみんなを、生き返らせ て欲しい。」
「それは無理だ。一度死んだ人間を生き返らすことは、わたしには出来ない。」
「じゃあ、何をしてくれるつもりなんですか?」
「夢の街を、作ろうと思っている。」
「夢の…街?」
「そうだ。本当は何処にも無い、お前達だけの住む、幻影の街だ。そこでは全ての村 人は生きているように見える。しかし、実際には生きてはいない。このわたしの体か ら落ちていった花びらから出来る幻想だ。そこでは、時が流れない。一番幸せなその 一コマで、全てがとまっている、そんな夢の街だ。今のわたしに出来るのは、それく らいの事だけだ。それでも良いか?」
「そこなら、妹は幸せになれますか?」
「ああ、その代わり、お前には仕事をしてもらわなくてはならない。」
「仕事?」
「そうだ。夢の街を、幸せなままに保つという仕事。わたしがずっと幻影を作り出せ るように、そのためのエネルギーを補給する、という仕事だ。意味は、わかるな。」

 兄は、うなずきました。

「妹のためなら、なんだってします。彼女が幸せになれるのなら。」
「うむ。」

 そして、その瞬間、兄妹の姿は、桜の木の中へ消えてゆきました。
 二人は彼らのため に作られた、夢の街へと行ったのです。

 そして二人は、いつまでもいつまでも、幸せ に暮らしました…。



 麻耶は話し終えると、にっこりと笑った。

「このお話のお兄さんじゃないけど、ぼくだって真由が幸せになれるのなら、なん だってするよ。夢の街だって、なんだって作り出して見せる。…深紅さんには、そう いう人はいないの?」

 いきなり話を振られて、僕は驚いた。
 大切な人、やはり思い出せない。記憶に無い。
 頭の裏側のほうから、記憶を引っ張り出そうとすると、頭が割れるように痛くなる。
 たんすの裏に入ってしまったコイン、指先が届かない。

「そういう人がいないなんて、深紅さんは悲しい人だね。」
「…そうじゃなくて、思い出せないんだよ。自分が何者なのかすら。」
「あのね、深紅さん。記憶を落っことしちゃうのはね、それが落っことしても平気な ものだからだよ。大事なものだったら、いつも気をつけてて、落としたりなんかしな いはずだもん。」


 麻耶の台詞に、僕は反発を覚えた。
 僕の記憶が、落としても良いものだっただなん て、そんなことはありえないはずだ。
 しかし、反論は出来ない。その「落とした記 憶」がどれほど自分にとって大切なものだったか、それを確かめる事は今の僕には出 来ない。

「おにーさんは、誰でもいいんだ。ぼくも、ぼくが誰でもいいんだ。だけど、真由は 違う。真由は真由じゃなくっちゃいけないんだ。真由だけは、絶対に。」



 長かった夜が明けた。真由が目を覚ます。

「おはよう、なの。」

 麻耶もすっかり子供に戻り挨拶を返す。
 つくづく不思議な少年だ。真由の事を何より も大事に思っている、という事はわかったが。
 掛け布団代わりにしていた桜の花びらは、何故か白くなってしまっていた。昨日ま では薄く桃色をしていたのに。

「真っ白なのは嫌いなの。もっと、もっと赤い色がいいの。」

 白い花びらを手の中にもてあそびながら、真由が言った。

「そうだね、じゃあ、そろそろかな。いいよね、深紅さん。」
「何か、するのかい?」
「うん、夢を見るんだ、深紅さんも。この、真由のための楽園で。」

 麻耶は、太い桜の枝を手に持っている。一体何をするつもりなのだろうか、そう思っ た次の瞬間、僕の頭に衝撃が走った。
 そして、ドサリ。
 僕は自分の体が、真っ白な花 びらの中に倒れるのを聞いた。

 意識が遠くなる。

「おにーさんは、真っ赤な夢を見るんだよ。真由のための、赤い夢を。」
「ど…ういう事だ?」
「この夢の世界を維持するためには、力が必要なんだ。桜の木には、もうその力が 残っていない。だから…必要なんだよ。おにーさんは、この世界に。」

 僕の体を撫ぜてゆく、ごつごつとしたものがあった。
 これは…桜の、根だ。根が僕の 体を包み込み、締め上げてゆく。
 服を剥ぎ取り、僕の足へ、腕へ、侵食してゆく。

 な んだかすごく不思議な気分がした。
 今僕はまさしく死のうとしているのだ。
 しかし、 この夢の世界へ向かうときのような穏やかな気持ちは何だ?
 根は僕を突き刺し、から まり、もうそろそろ真由たちの顔が見えなくなる。

 そのとき
 グサリ。
 最後の衝撃が、僕を襲った。
 ひときわ太い根が、背中から一息に僕の体を突き刺した のだ。

 噴水のように噴き出す血が、真っ赤に白い花びらを染め、それが桜の木の中に 吸い込まれてゆく。

 やがて、桃色だった桜の花びらがすべて、深紅に染まった。あれ は、僕の血の色…僕の名前。

「綺麗なの…真由の一番、好きな色なの。」

 うっとりと、『パレード』を見ていたときのように陶然として、真由が言った。
 真っ 赤な花びらが落ちて、僕の上に降り積もる。

「おやすみなさい。」

 完全に意識がなくなる瞬間、僕は悟った。
 これから、僕は夢を見るのだ。
 真由のための夢を見つづけるのだ。あの桜の木の中 で。真由の夢を、幸せに暮らす二人の夢を。
 そしてそれは、この世界を作り上げてゆ き…僕は永遠に覚めない眠りの中で、桜色の世界を夢見るのだ。
 永遠に……
 赤い赤い花びらを真由は手のひらに包む。麻耶はそれを笑顔で見ている。

「真由の大好きな色だよ……。」
「真っ赤な桜が、一番好きなの。」

 そして、僕は永遠にこの桜色の夢の中にとらわれる。




 ……ねえ、この夢は誰の夢なの?
 ……きっと真由のそばにいる人だよ。
 ……うん。





 そしてそれは、永遠に覚めない赤い夢。


FIN.     




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