*He Called Pochi the Dog*



 僕の親友は少し変わっていた。
 彼は、誰の事も名前で呼ばないのだ。

 例えば、僕はポチという名の犬を飼っている。その犬の事を、彼は必ず、『イヌ』と呼ぶのだ。
 僕が何度、こいつの名前はポチだといっても、彼はポチのことをイヌと呼んでいた。
 僕の事だって、名前で呼んでくれた事は無い。
 いつだって、『少年』とか『友達その一』だとか、機嫌の良い時には『親友一号』だとかで呼んでくるのだ。

 これじゃあ、誰の事を呼んでいるのかわからないんじゃないか。そんな心配は不要だ。
 彼は自分のクラスメートの事は出席番号で呼んでいるし、先生の事は先生で十分だし、ちょっと見かけただけの人の名前なんて相手だって知らないし、僕みたいな友達の事は適当な番号を付けて呼んでいる。

 ずっとそんな彼と友達だったせいか、今では僕は、彼がちょこっと番号を言っただけで、誰の事なのかが即座にわかるようになってしまった。

 僕のほうはといえば、彼と話す時でもきちんと固有名詞を使っている。
 そしてそれでも、彼との会話は成立するのだ。
 このことから、彼が別に人の名前を覚えられないわけではないことがわかる。
 おそらく、彼の好みの問題だろう。

 さて、そして、僕は彼の事を何と呼んでいるか。
 そのまま『彼』と呼んでいる。何故かって、彼には名前が無いのだから。


 彼は、名づけられなかった子供だった。
 理由なんて聞いていない。いや、聞いたような気もするが、確か僕にはよくわからなかったのだ。
 
 だけど、僕は彼は彼だと思っているし、彼に名前がない事で特別困った事もない。
 名前なんて無くたって、僕には彼の事がわかる。
 それで十分だ。



 だけど、そんなある日、彼が突然、僕の家を訪ねてきて、信じられない事を言った。

「僕にもようやく名前が出来たんだよ。ゼロっていうんだ。昨日、ようやく親が僕のことに気付いてね、名前を付けてくれたんだ。だから、僕もこれからは、君の事を名前で呼ぶよ、レイ。」

 そう、その日から、彼は僕のことも誰の事も名前で呼ぶようになった。
 ポチも今ではポチと呼ばれている。

 そして、彼は誰からもゼロと呼ばれている。もちろん僕からも。
 けれど、僕は今でも、彼のいないところでは、彼を『彼』と呼ぶ癖が抜けない。



 あまりにながく、そう呼んでいたからだろうか。
 彼は、僕の中でずっと彼のままだった。
 僕の中で彼の名は、すっかり『彼』になってしまっていたのだ。
 彼は彼以外の誰でも無い。『ゼロ』と彼とは別人なのではないか、とすら思った。

 僕は、彼の名付け親に会ってみたくなった。

 僕だって、彼を『彼』と名づけていたのだ。
 だけど、彼の親なんて、何処にいるのかも全くわからなかったし、僕にはどうしようもなかった。



 僕は、ポチに『イヌ』と呼びかけてみた。
 ポチは無反応だ。彼がそう呼んでいたときには、しっぽを振って飛びついていたのに。


 僕は悔しくなった。
 彼はもう僕の知っている彼じゃない、そういえ言われた気がした。




 その日、英語の宿題をやっているときに、一つの問題が僕の目にとまった。語順の問題だった。


 次の語句を並べ替えて、意味のつながる文を作れ。
 〔called, he, the, Pochi, dog〕



 僕は迷わず、解答欄に
 〔 He called Pochi the dog 〕
 と書いた。

 「彼はポチをイヌと呼んでいた。」立派に意味がつながる。

 しかし、その宿題のプリントは、赤い大きなバツをもらって、僕の手元に帰ってきた。
 やっぱり、ポチの事はポチと呼ぶのが普通なのか、と少し悲しくなった。



 次の日、英語の先生に呼び出しを受けた。

「あなたはどうして、callの語順だけをこんなに良く間違えるの?他のところは、そう、それこそmakeもtellも間違えないのに。いつだって、呼ばれている名前のほうを先に書いているわね。そうすると、とてもおかしな文が出来上がるって、何回も言ったでしょう。」
「そんなに、おかしな文でしょうか。」
「普通に考えてごらんなさい。いくらなんでも、変でしょう。ポチがそのイヌなんて呼ばれるのは。」
「……。」

 僕は、間違っているんだろうか?
 僕は、彼を彼と呼んではいけないんだろうか?

「…でも、僕は、どうしたってそれが間違っているとは思えないんです。」

 それだけ言い捨てると、僕は先生の元から逃げだした。
 これ以上お説教は聴きたくない。

 僕の味方はどこにもいない。彼を彼と呼ぶ人間は。



 僕はそれから、誰の事も呼ばなくなった。誰の事も、呼べなくなった。

 僕は今、全ての人間を、全ての動物を、番号で認識している。
 『僕』と『彼』たった二人を除いて。



 初めからこうしてしまえばよかったのだ。
 僕はずっと、彼を彼として呼ぶだろう。僕の中では、彼は永遠に彼のまま。

 名前なんて、僕には必要ない。そうさ、僕には。



 しかし、僕の瞳からは、言葉とは裏腹に涙がポタリと落ちていった。







新暦五十一年二月三十一日に国会に提出された法案
「全国民の名前総数字化法」略して「名数法」の反対運動パンフレットより
ナナミ ミク(73-39) 作 He called Pochi the dog




このような数々の反対がありながら、名数法は新暦五十一年十三月三十六日に成立した。



FIN.     




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