*科学的恋愛小説 Scientific Love Theory*
■恋愛小説■
言葉の組み合わせなんてもんはさ、いっくらでもあるはずなんだよねって、私は知ってる。
私の知ってる日本語の語彙がいくつあるのかなんて、よくわかんないけど、とりあえず千って仮定してみようか。千の言葉から、三語を使って、一つの文を作るって考えよう。それだけで、十億近い文章ができる。
もちろん、主語だの述語だのってつながりがあるから、そんなにたくさんはできないんだろうけどね。でも、おっそろしい数の日本語ができるはず。
聞いたことがあるんだ、サルが適当にタイプライター打ってて、シェイクスピアの戯曲とおんなじ文章を書いてしまう確率。
無限の時間があれば、絶対にいつかはできるっていうけど、私が生きてる間になんて、きっと無理だよね。
確率的にはとってもじゃないけど、無理だよね。ひょっとしたらって思いは、なきにしもあらずだけど。
時間がなくても、無限にサルとタイプライターがあったら、できるかな。
広い宇宙のすみずみまで、びっしりと並んでる、タイプライターをたたくサル。
でも、もしも、サルがシェイクスピアを書けたって、私の気持ちは、きっと誰にも書けない。
確率的にはありえない話じゃないよ、無限のサルと、無限のタイプライターと、無限の時間があれば、今までにかかれたことのない、極上の恋愛小説、書けるかもしれないよ。でも、それじゃダメなんだ。
なんでだろう。
私が語る言葉の、どれもこれもが陳腐だと思っちゃうのは。
いくら好きって言ってみてもさ、ほんと、嘘臭くって嫌になるよ。なんで私って、こんな安っぽい言葉しか知らないのかなって嫌になるよ。
どうやったって、表現できないの。私、言葉はいっぱい知ってる。本読んでるもん。昔の言葉だって、小難しい熟語だってきっと使える。でも、なんでだろうね、全然ダメなんだ。どうしても、うまくいかないの。恋愛小説なんて書けないよ。
自分の気持ちだってろくに書けないのに。
言葉の組み合わせなんてさ、無限にあるはずなのに、どれもこれもチープだって思っちゃう。
一匹のサルが、死ぬまでの間にいっくらタイプしたって、不眠不休で考えたって、きっと、でたらめな言葉しか出てこないよね。
■プリズム■
片思いの話。その一。
物理の時間に、三角プリズムが配られた。
先生にはまだ覗くなって言われたけど、そんなの、誰も守らない。みんな、好きなようにプリズムを覗いた。
ガラスの向こう側には、ほのかに七色が見える、きらきらしてて。
私はプリズムを回して、いろんな方向へ向けて、覗いて、遊んでた。と。
突然、きみの姿が見えた。
プリズムだもん、ちょうど四十五度くらい後ろにいるきみの姿、見えて当たり前だ。
でもちょっと待ってよ、完全にふいうちだよ。私は完全にあわてて、わたわたともがいてた。でも、そんなことあいつは知る由もない。向こうからは、私が覗いてるなんてこと見えない。
プリズムっていう名前も、可愛くって結構スキだよ。でも、その機能には、もっと感謝かもしれない。
私、結局その時間中、隠れてきみの姿を見てた。こんな機会ってめったにないんだもん。
なんていうか。ほんと、馬鹿だよね私って。なんて、こんなこと、きみには話してないけどさ。
■君の夢を見た■
おまじないなんて信じてないから、きみのことを考えながら眠った。
そしたら、きみの夢を見た。
きみが、私の手のひらの上に載っていた。きみは小さくなっていた。
なんだかたまらなくいとしくなって、私はきみを飲み込んでしまった。
きみは私の中で、どんどんと分裂していって、私の中を完全に埋め尽くしてしまった。
血液の中にまで入っちゃって、赤血球だとか白血球だとか、ぜんぜん流れてくれないの。こりゃあ完全に動脈硬化だよ、そのうち心筋梗塞だよ、とか考えてたら、ほんとに心臓が痛み出してくれちゃって、それは不思議と、きみを見ているときの胸の痛みに似てた。
なんて、夢の中では思ったんだけど、実際の私は、きみを見て胸を痛めたなんてことはなかった。
痛いのは心臓なんかじゃなくってさ。
そうこうするうちにもきみはどんどん増殖する。
むしろガン細胞みたいなもんかな。私なんか、きっときみにのっとられちゃうんだろうな。そしたら、私はどんな気分できみを見るのかな。
そうやってぼけっとしてたら、いつの間にか目を覚ましてた。ちょっと残念だったかも。
でもなんとなく、心臓の辺りが、まだ痛かった。
■ケミカル・コミカル・コミュニケイション■
恋の話をしようか。思いっきり嘘っぽい恋の話。まぼろしでしかない、恋の話を。
あたしね、ずっとずっと、恋がしたかったの。
恋をしていないと、生きてけなかったの。
恋をしていないあたしっていうのは、どうしようもなく不安定で、よりどころない気持ちばっかし抱えてた。想いだけが爆発しそうで、ふらふらしてた。
だけど、きみに出会って。きみをはじめて見たときに、あたしは変わった。
きっと、ひと目で恋をした。硬く硬く手を握って、もう二度と、離れないんだと思ってた。
なのに、どうしてかな。あたしの想いなんてものは、あたしから離れていって、きみの周りにまとわりついて。
あたしの想いなんてものは、全部きみにうばわれてしまって。
あたしはずっときみに惹かれるようにしてよりそっていたけど、いつか、気づいてしまった。
あたしは、きみなしでもやっていけるんだって気づいてしまった。
ごめんね、ごめんね、もう、きみと一緒にはいられないの。
あたしは恋がしたかった。恋をしなくちゃ生きて行けなかった。でも。
でも、きみがいなくても、生きてゆけるの。
ごめんね。あたしは、広い海へ旅立つの。ごめんね、ごめんね、身勝手だよね。でも、いかなくちゃいけないの。もう、その時が来たんだって知ってるの。
あたしの想いは、全部、きみに残してゆくから。
きみと一緒にいたときは、ずっと、涙の味だったわ。
それは、恋の話。存在しない、恋の話。フラスコの中で繰り返される、原子たちの恋物語。
恋の話をしようか、おもいきり嘘っぽく、おもいきり透明な、恋の話をしようか。
■涙■
涙の成分を、私は知らない。
たぶん、何かの塩分なんだろうね。カルシウムかな、ナトリウムかな。
でも、ちょっとだけ知ってる。きっときみのことで流す涙は、どこか、成分が違ってる。
だって、しょっぱくないもの。きみのことで流す涙は、ほんの少しだけ甘いんだもの。
ブドウ糖かな、果糖かな、それともショ糖なの。わからないけど、なんにせよ、甘い涙なんてちょっと異常だよね。
■推進力は恋少女■
私、きみのためなら、音速だって超えるよ。
ううん、光速だって超えちゃう! それよりワープ航法かな。
一秒でも早くきみに会いに行く! 決めた! 推進力は私の恋する乙女パワー。面舵いっぱい!
そうよ、時空だって超えてやる! ふたりでどこまでだっていける。
だから造ってよ二人の船をさ。
私は船のエンジン。きみは船長とオペレータ。目指すは宇宙の果て!
はじまりの世界を見に行くんだ! 反重力だって、なんだって、私が使いこなしてあげるよ!
一緒に行こう! どこまでだって行こう!
暴走する恋心だけは、きっと、光よりもニュートリノよりも早い。
■さくら・さくら■
桜の花は、はかなすぎるよねってきみが言った。珍しいなっていって私は笑った。
春の桜と、秋の落ち葉には、なにか、センチメンタル誘発剤が隠れているんだと私は思う。
だってそうじゃなきゃ、きみがそんな愁傷なこと言い出すはずがない。
映画館とかに売りつけたら、なかなか高く買ってもらえるかも、なんて楽しい想像をしてみる。
桜の花は、はかなすぎる。きみがもう一度言った。おかしいな、と私は思った。
きみは永遠を信じてる。
桜の花びらがやがて散っても、土にとけて消えていっても、その原子は残ってるんだって、きみは知ってるはずだった。
めぐりめぐって、循環して、いつかはまた、さくらの花になれるかも。
けれどきみは言った。ほんとは永遠なんてないんだってこと。
原子だって、なんだって、ただの確率に過ぎないんだってこと。
次の瞬間にそれがあるかは、確率論でしかないんだってこと。
目を閉じてしまえば、目を開けるまで、世界が無事でいるかなんてわからないんだってこと。
桜の花は、はかなすぎるよねって、きみが言った。
またひとひら、風に揺られて地に落ちた。どの花びらが落ちるかなんて、誰にもわからない。
さくら、さくら。一瞬先にも、きみは消えるかもしれない。
さくら、さくら。花びらが舞う。
■レセプター■
できるだけ、たくさんのものを受け入れられたらな、と思うんだ。
きみだけを受け入れるんじゃなくってさ、他の人も、他のものも、全部、うけとめられたらなって思うんだ。
なのに、どうしてだろうね、私が無条件に反応できるのはきみだけで、我ながら嫌になっちゃうよ。
ほんとに融通が利かないねって、自分でも思うよ。
きみが、好きだよ。愛してるなんて絶対言わないけど、きみが、好きだよ。
きみのひとこと、ひとつの動作だって、私は取りこぼさないよ。
ほんとに、ほんとに絶対、私だけはきみを見てるよ。他のものを見れない分、私はきみだけを見てるよ。
■輪廻■
はじめに言っとくけど、別に私、あんたと私が前世から恋人だったとか、そんなバカなこと考えてるわけじゃないからね。
たとえばさ、魂ってもんが質量持ってなかったと仮定するじゃない。
あ? 昔、死ぬまぎわの患者の体重を量って、魂の重さが七グラムだって突き止めた人がいたですって?
もう、話をまぜっかえさないでよ。これは私の夢物語なんだから、おとなしく聞いててよ、いい?
とりあえず、魂に質量がないとしたらさ、光速で走れるかもしんないわけでしょ?
そんで、もしも、もしもよ? 魂が、虚数の性質とか持ってて、光速を越えられるとしたらさ、時間だって越えられるのよね。前に言ってたじゃない、相対性理論、教えてくれたのはあんたでしょうが。
それでさ、時間を越えられるんなら、輪廻転生ってのが、もっと時間的に自由に行われてもいいわけでしょう。
私の前世が、未来の人物だってのも充分ありえる話だし、それとも、私の来世が、今この瞬間に生きている人なのかもしれない。そうやって考えてくとさ、たった一つの魂が、時間と空間を越えて、いろんな役割を演じていって、そういう壮大な物語を作ってる、そんな風に思ったっていいんじゃないかなって。
だから、私も、未来だか過去にだかわかんないけど、きみだったことがあるのかもしんないなって。
そしたら……どうする?
ちょっと、笑わないでよ! 一応真剣に話してんだからね!
あーもう、だからあんたって嫌いよ。
■向日葵に降る雪■
ヒマワリが咲いていた。
きみと一緒にひまわりを見つけた。
コオロギが鳴いていた。すずやかな音色だった。
どこかから、モンシロチョウも飛んできた。ヒマワリに止まって、蜜を飲もうとしたけれど、すぐにまた飛んでいった。
そのヒマワリの上に、雪が降り出した。いつしか雪はこんもりと、ヒマワリの上につもった。
白い雪の道を、私たちは歩いた。手のひらに乗った雪の結晶がすぐに溶けていった。
ヒグラシとスズムシが輪唱をはじめて、ネコは恋人探しに駆け回る。
タンポポがこっそり綿毛を飛ばして、雪なんかと見分けつかないね。
カエルは雪の中をすいすい泳ぐ。その上に真っ赤な落ち葉が降りかかる。真っ白い背景の中で、カラフルに。
私たちはたちどまる。
雪と落ち葉と綿毛に降られて、ヒマワリの下で雨宿り。
それから、こっそり口づけ。
人間の恋人たちには、季節なんて関係ありません。
■誕生石■
片思いの話、その二。
ふと思い立って、私ときみの誕生石を、調べてみたことがある。
私は七月生まれのルビー。きみは九月生まれだからサファイアだってさ。
二つの宝石が、ほんの少しの成分の違いしかないんだってこと、知って、私は少しだけうれしくなった。
宝石会社の策略だ、なんていわれたら身も蓋もないけど。
ほんと、笑っちゃうでしょう、そんな小さなことでばっかり、一喜一憂してさ。
■虚数のうた■
アイを叫べ! アイをうたえ!
すべての始まりは虚数だ! 宇宙のはじめにはアイだけがあった!
目に見える愛など信じるな!
アイを叫べ! アイをうたえ!
■三日坊主■
きみの観察日記をつけようって思って、青いノートを買ってきた。
アサガオみたく毎日育ってくわけじゃないけど、でもちょっと面白いかななんて。
授業中のしぐさだとか、ほんとにちょっとした変化を毎日ノートにつけてくんだって。そう思ったんだけどね。
ノートは結局三ページで終わってしまった。あとは白紙のまっさらさら。
三日坊主だけど、きみにだって責任はあるんだよ。全然、ちっとも変わってくれないから。
ほんとにきみはいつもどおりで、書かなきゃならないことなんて全然ない。
毎日毎日よくもまあそんなに同じことばかり繰り返してて、飽きないのかなって思うくらいに。
桜みたいに、三日で散ってなんていわないけどさ。せめて、朝顔くらいの変化は頂戴よ。
そう言うと、きみは、変化なんてあっていいの? って聞いてくる。
にょきにょき伸びて身長が三メートル越しちゃうとかしてもいいの? って。
そういう意味の変化じゃないってことは、わかってるくせに。
■おひさまロンド■
おひさまのまわりを、私はまわる。絶対に近づけない距離を私は回る。
きみに近づいたりなんかしたら、私は落ちてしまうから。
君に引かれて、落ちてしまうから。きみとの最短距離を私はまわる。
きみに、少しでも近づいて。引っ張られて、きみに落ちて、きみに抱かれて、きみに燃やされて、灰になって。
そんな夢を見て、私はまわる。近づけない距離をまわる。
いつかきみの存在は、私のことなんかとりこんでしまうくらいに、大きくなるよね。
私の抵抗なんかないものみたいにして、きみは私をひきつけて。
けれど今は、おひさまのまわりをまわる。きみのまわりをただただ踊る。
きみとの最短距離を私はまわる。
■恋愛小説・再び■
そうだよ、こうやって、こうやって私が書いてることも、たまたま、サルがタイプライターで打ったことなのかもしれないよ。
そうじゃないなんて保障、どこにもないよ。確率的には、ありえない話じゃないよ。
でも、私の気持ちは、せめて、私の気持ちは、絶対に、他にはありえないものだって、そう思いたいよ。
確率的には、ありえない話じゃないのかもしれない。
たとえば無限の人間がいれば、その脳が、神経細胞が、すべて私とおなじ結びつきをしている事だって、ありえない話じゃないのかもしれない。神経が発する伝達物質の量も、電流も、みんなみんな同じことだってありえるかもしれない。
無限の人間がいるならば。
でも、無限の人間がいるならば、その中のたった一人、私にそっくりなその脳がきみを見つけ出すなんてこと、絶対にできないはず。
無限の人間がいるならば、絶対にできないはず。
限られた時間の中で、あなたを見つけるだなんて。
だから、きみに恋してる私は、きっとここにしかいない。私の気持ちは誰も知らない。
極上の恋愛小説がほしい。でもきっとそれはかなわぬ望み。
私が書けないものは、きっと誰にも書けない。無限のサルが宇宙を埋め尽くしても、きっと、書けない。
きみと私の恋愛小説は、きっと、どこにも、存在しない。
FIN.
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