*Lovers Eyes*



 私と彼の視界は、決して重なる事がありません。
 二人でいる時でも、私たちの見ているものは、いつだって違っているのです。




 私と彼との関係は、何と言えばいいんだろう。私にとって、それは今のところ、二番目くらいに重要な問題だ。

 恋人に見えるかもしれないが多分そんなものではない。
 友達という程関係は浅くない。
 親友、は別にいるし、親子やらイトコなんかじゃあ絶対にない。
 強いていえば「幼なじみ」に近いものがあるのかもしれないけれど、私達が知り合ったのは高校に入ってからだ。
 でも私の友人どもは確実に「私の彼氏」だと思っているだろう。

 彼と出会ったのは、確か図書室だった。(ただし、これは私の主観に基づいたものだ。彼は「初めて会ったのは公園だったよ」と言っている)
 私が一番好きな本たちの棚(私の好きな本が、だいたい「913−6 ア〜サ」あたりに集中しているのだ。)の真ん前で、並んだ背表紙に目を近づけて人差し指で一冊一冊を確認するようにながめていた彼に、私が思わず声をかけたのだ。

「あの…その本、取りたいんですけど。」

 実際、その本を借りようと思って図書室に来たのだが、そうやって声をかけたのは彼に興味があったからだ。(取ろうと思えば声などかけなくても取れるのだから。横からさっと乱入してしまえば良いだけだ。)
 図書室はわりと大きく、本のそろえも良いのだが、利用者はあまりいなく、しかも一冊一冊入念に見ている者など、私は他に見かけた事がなかった。

 それが私と彼のなれそめ、というもので、ここ1年と数ヶ月、この妙な関係を続けている。

 私と彼の話す事といえば、非常にバラエティーにとんでいる。
 昨日見たTVの話とか推理小説のトリックの話とかクラスの近況とかゲームの攻略法とかそういう話もするし、ミトコンドリアについて語ってみたり運命論を話したり時にはボケとツッコミすらやる。こんなにオールマイティーに話ができる人を、私は彼以外に知らない。
 おそらく、そんな事もあって、この関係は一年以上も続いてしまったんだと思う。
 こういうのは一体、何て名前をつけてやるのがいいんだろう。私が彼と一緒にいるのを好んでいるというのは確かだが、やはり彼のことを「恋人」なんて言って紹介する気はさらさらないのだ。(多分、向こうもそう思っているんだろう。)

 最近はそんな事もよく彼と話していて、『名前のない関係』とでも名づけるのが適当だろう、という意見が主流になっている。
 ただ、私はこのハタから見れば中ぶらりんな関係が好きなのだ。名づけてしまうと、その価値が薄れてしまうような気さえする。『友達以上恋人未満』だとか『性別を超えた友情』だとか、使い古されたようなフレーズで表せるものではない、というのが私の持論だ。
 だから、このごろ人に彼との関係を話すときには、このようなことをずらずらと語っている。(急がば回れ、だ)

 さて…私は先刻、これが「二番目に重要な問題」と書いたけれど、それなら一番は何なのか、という疑問が、当然(偶然?)でてくると思う。その問題というのは、とても難しく答えの出ないような類のもので、なおかつ私が彼と一緒にいる動機でもある。
 それは、私と彼の感覚がうけとっているものが、同じものを相手にしてもまったく違うという事なのだ。


 街は人であふれている。今日は日曜日。ショッピング街として割と有名なここが人だらけなのはあたり前だ。それでも頭がくらくらする。
 特に私は人気のない図書館の、あの微妙に異空間な雰囲気に慣れているものだから、つらい。彼がこんなところに『デート』(他に言いようがないのでこういう名前であるものの、恋人たちの、とかロマンティックな、とかいう形容詞はつけないでもらいたい。)に呼び出したのは、私の好みを知ってか知らずか悩むところだけれども、すっとんきょうな事をするのは、彼のいつものクセだ。
 人込みは嫌いな私だけれども「ここってそんなに混んでるかなあ?」と驚かれてしまっては怒るにも怒れない。

「顔色悪くない?ちょっと休もうか?」

 彼がのぞきこんでくる。私は首を振った。大丈夫だよ、のサイン。気をつかってくれているのはありありとわかるが、この人込みじゃあ、どこに行こうと休む気になんてなれないだろう。
 それでも、彼は私をずるずるとひっぱって、一番近くにあった喫茶店へと入る。

 『近いから』という理由で入ったそこは、雰囲気の良さと味の確かさとで、最近人気を集めている所で、当たり前のように満員だった。
 この街はやっぱり、どこへ行っても人だらけだ。空席待ちのイスすら満席で、立っている人がちらほらと見える。くらり、とした。

「…休めそうに、無いね。」

 この店の人気を知らなかったらしい彼は、困ってしまったようだ。
 人込みは平気なくせに、彼はこの手の情報に、信じられないほどうとい。テレビとか、本当に見ているんだろうか、といつも私は思ってしまう。(ひょっとしたら、忘れてしまっているだけなのかもしれない。)それでも、この店がフラッと入ってゆくには不向きだとわかると、私達は先刻くぐったドアからもう一度街へともどる。そして人の流れとぶつかりあいながら、もう少し人通りの少ない所を求めてメイン・ストリートをぬけた。
 突然、あたりが静かになる。
 不思議な事に、ここは道を一本はずれただけで、見える風景がまったく変わってしまう。
 あの道は、ここにいるべき人をも吸収してしまうのかもしれない、と思うほど人間の数に差があるのだ。だいたい、三十五対一くらいであろうか。向こうの道のざわめきだけが伝わってくる。何がそんなに違うんだろう。魔法でもかかっているっていうのだろうか。『流行』っていうのは確かに魔法のようなものだけれど。

「こっちなら多少は落ち着けるわね。」
「そんなに差があるかなあ?」

 私の言葉に、そんな言葉を返すのはいつもの事なので、気にしない事にする。そのまま私達はしばらく歩いた。
 道をひとつ曲がるごとに、人が少なくなっていくようだった。よく知らない街なのにこんなに入りこんでしまって、本当に駅にたどりつけるのか、と一瞬不安に思ったが、彼は道に関してはすばらしいセンスを持っているので(中学校の修学旅行で、バスに乗り遅れた彼が、一人で電車を乗り継ぎ旅館まで帰ってきた、というエピソードもあるほどだ。)その点はどうにかなるだろう。
 5回ほど角を曲がった頃だった。私達は一つの花屋を見つけた。
 こんな人通りのない場所にしては大きい。よく潰れないものだ、と私は感心した。金持ちの道楽かな。

 私は花が好きだ。おそらく、小学校の時の担任の影響だ。きれいな女性で、特に男子に人気があった。
 毎週違う花を教室に飾ってくれて、そのおかげで私は大分花に詳しくなった。今でも花が咲いているのを見ると、ドキドキしてしまう。

 彼も私が花好きである事くらいは知っていて、店の中まで私の手をひっぱっていった。
 店内は色の洪水だ。青だとか、赤だとか、白だとか黄色だとか…言葉に表せないような色すらある。ひとくくりにされてしまうような『赤』でも、ほんの少しずつ違うのがよくわかる。美しさを追求する『進化』の結晶か。それとも、人間の求める『夢』なのか。いや、そんな事はこの際どうでもいい。
 そこはまるっきり調和のとれていない空間だったが、(確かに、商品の並べ方は計算されたものだったが、調和していなく見えるのは、花の多様さのせいだろう。)それゆえに魅力的だった。

「どの花が一番綺麗?」
「んーと……」

 彼が突然聞いてきた。私はしばらく悩んでしまう。


見た事のないような花も多く、どれもそれぞれにおもしろい花で、迷ってしまうのだ。オーソドックスに薔薇だとかも置いてあり、それはそれで美しいのだが、どうしても珍しい方に目がいってしまう。
 やがて私が指差したのは、花びらが5枚の(という事は双子葉類か)赤い花だった。赤とは言っても、グラデーションになっている。葉はわりと大きめで、濃い目の緑だ。それがカスミ草と一緒に花束にまとめられていて、かわいらしかった。

「あの、赤い花かなあ?」
「……ああ、アレの事か。」

 一瞬の沈黙の後、彼は言った。

「買ってやるよ。コレだろ?」

 つかつかと前へ進み出て、赤い花束を手にとる。
 私がうなずくと、彼はレジにいる店員に声をかけた。

「すみませーん。この、青い花を下さい。」
「はい、千円になります。」

 ああ、また、だ。
 これは彼の言い間違いなんかではない。私の見間違いでもない。その証拠に私達の対話が聞こえていたはずの店員は笑顔を崩さない。
 そして、彼は私に、赤い花束を手渡した。

「女のコって、やっぱり花束もらうの、うれしいんだろう?」
「うん、ありがとう。」

 私は赤の中に顔をうずめる。こんな事にも、もう慣れた。

「君が選んだだけあって、その青い花、綺麗だよな。僕も好きだよ。」
「うん。」

 そう、こんな事にも、お互い慣れてしまった。
 私達二人にとってはただの、『よくあるコト』だ。



 私達の見ているものは、時々こうしてくい違う。
 視覚だけじゃあない。触覚、聴覚、味覚、およそすべての感覚で、こんな事が起こってしまう。
 私達のどちらかがおかしいわけじゃない。誰か別の人と一緒にいる時にはこんなくい違いは起こらないし、二人でいる時に別の誰かとトラブルになった事もない。先程の店員のように、何の不思議にも思わないようなのだ。
 ただ、感覚のくい違いはあっても、そこから感じる事はだいたい同じだ。
 私にとって赤く見えて、彼にとっては青く見えた花は、私達二人に『綺麗だ』という感想を抱かせた。違う視点から見ていても、同じことを想う。
 ひょっとしたら、数学の問題にも似ているかもしれない。全く違う解法を使っても、出てくる答えは同じ。そして、その二つの解法は、どちらも正しいのだ。

 彼との出会いは私に、自分の見ているものたちのあまりのあやふやさを気付かせた。
 言葉だけのコミュニケーションには限界がある。私が『赤い』と言っているものが本当に『赤い』という保証はどこにも無いのだ。
 自分の見ていないものを、誰かに教えられる場合なんて、もっとつらい。私が心に描いたものなんて相手にはわからないのだから。イメージが正確に伝わっていることはまず無いだろう。
 私達は、なんともぼんやりとした世界に生きているのだ。

 ただ、最近の私達は、そのあやふやさを楽しむようになった。何だかんだ言って、私はこの不確かで危ういバランスが好きなのだ。多分。
 同じものを見て、違うようにとらえ、同じ事を感じる。悪くないじゃないか。
 共感できないならばつらいかもしれないけれど、結果、感じるものが同じなら。
 不思議なことは不思議だが、続けばやがて常識になる。私は彼との関係における、この『特別ルール』を楽しんでいるのだ。
 そしてまた、これは魅力的な謎だ。突き詰めて考えていけば、世界を揺るがす事だってできるかもしれない。『認識』の問題。
 私達は話のネタがなくなる度、この話をしてきた。今の所、まだ結論はでていないけれど、二人でそんな話をするのは好きだ。
 この素敵な謎があるおかげで、私達は何とも言えない関係を続けてこられたんだろう。そうでなければ、とっくのとうに付き合いが無くなっているか、もしくはごく普通の『恋人』にでもなっていたと思う。

 私は花束を抱えて、彼のあとをひょこひょことついてゆく。
 ハタから見れば完全にカップルなんだろう。だけど私達はお互いの事を、そんなものだとは思っていない。もっと違う言葉の方がしっくりくる。
 彼もそんな風に思ってくれているんだろうか。私は彼に話しかけた。

「ねえ、今日は、どうして突然呼び出したの?」
「え?」
「だって、いつもなら、私を呼ぶ時にはきちんとした計画があったでしょ?今日は何か行き当たりばったりだと思う。」
「…それが計画だって言ったら、どうする?」

 にやり、意地の悪そうな微笑み。根本的にいい人のくせに、どうしてこんな表情が得意なんだろう。

「まあ、それは冗談だけど、例の謎について、昨日ちょっと思いついた事があってさ。電話で話すのもナンだし。」
「へえ……。」

 一応聞いてみてあげよう。彼の表情は何故かやたらと明るい。自分の『答え』に対する自信だろうか。

「まずは…片目をつぶってもらおうかな。」
「うん。」

 意味はわからなくても、私は言われるままにする。
 いつもよりもずっとせまう、片目分の世界。
 赤い花束はもう、その中に入ってくれない。赤い色は視界からあふれだしてしまう。
「そしたら、もう片目…視界がずれてるの、もちろんわかるだろ?」

 私はだまってうなずく。当たり前の事だった。

「中学校の理科で、習ったような気がする。人間だとか、肉食動物の目って、前についてて、ほんの少しのずれがあるから、距離感がつかめるのよね。草食動物は、広範囲を見られるんだっけ。」
「うん。だから、それと同じじゃないかな。」
「?」

 この話のどこらへんが『だから』に続くっていうんだろう。

「僕たちの間のずれもそれと同じで、何か、もっと大きなものを、立体的に、しっかりと見るためなんじゃないかって思ったんだ…ああ、上手く言葉にならない。」
「ううん、でも、わかる気がする。」

 私達も、誰かの目なのかもしれない。一人より二人の方が大きなものが見えるのは確か。
 私の視界は、片目じゃあ足りない。両目になってようやく、赤い花のすべてが見える。

「だから、多分僕たちは……」
「紫なのね。」

 私はぽつり、と言った。
 彼の言葉を切らせてしまう事になったけれど、言わずにはいられなかった。

「この花は多分、紫色をしているんだわ。本当は赤くて青い花なのよ、きっと。私たちは…」

『二人でいるから、真実が見えるんだ。』

 私達の声が重なった。
 そう、やはり、結論は同じなのだ。こんな時でもそれは変わらない。
 彼は微笑んでいる。多分私の顔も同じ表情をうかべている。


 これは、一つの回答例でしか無い。あまりに謎の多い私達について、全ての答えがでるとは思っていない。彼の答えが本物だなんていう保証はない。
 だけどこの発想が、私達にとって最もしっくりときたのだ。

「ああ…それなら、もう一つの謎も解けるんだ。」
「え?」

 私の言葉に彼が反応した。これはただの独り言なのに。
 首を振ると、彼はけげんそうな顔をする。こんな思わせぶりなセリフを言われてしまったのだから、当然だ。
 どうしよう、言ってあげようか。

「あのね…私、ずっと前から疑問に思ってたでしょ?私達二人の関係を、何て呼ぼうかって。」

 あれから二人で歩いているうちに、日は沈んで、代わりに月が昇った。
 場所は小さな公園のベンチ。人気はない。こんな所で話をしていたら、やけに女の子らしくなってしまいそうだ。

「恋人とか、友達とか、そういうモノじゃないような気がどうしてもして…。ずっと、どうやって呼ぶのが一番適当かを考えていたんだけど、さっきの事を頭に入れると、この問題に答えが出ちゃうのよ。」

 これから私はとてもはずかしい事を言わなければならない。顔が赤くなったりしないように、気をつけないと。
 でも彼ならば、にこっと笑って、それで済ませてくれそうな気がする。

「私達って…つまりは二人で一組なのかなって。」

 恋人、とかじゃあないんだけど、私達は多分、一組なんだと思う。思うけれど、実際に言うのはかなり気はずかしい。
 はずかしいけれども、これが私の答えだ。さて、彼の回答は?

 ぽっかりと浮かんだ満月が、私達二人を照らしている。彼の顔の動きが、はっきりと見える。唇を開き、何か言おうとしてまた閉じる。だけど、目は私の目からそらさない。

「僕も、そう思う。」

 やがて、彼は一言一言くぎるように、はっきりと言った。


「綺麗な満月ね。」
私の言葉に、彼が言う。
「うん、綺麗な新月の夜だね。」
あの月は、祝福の月。
あの月は、新しいはじまり。


 ……きっと、どちらも真実なのだ。私達の視界は、合わさって、誰かの心に情景を描く。あなたに見えているのは、どんな月?

 そして、私達はどちらからともなく、笑った。


FIN.     




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