*海月 melt into the water*



 私の海月が、瓶の中から消えていた。昨日、海で見つけた、透明な海月。
 ふよふよと水の上に浮いていて、触ると少しふるるとして、何だかとても可愛らしかったから、落ちていた大き目の瓶に水を入れて、連れてかえってきたのだった。

 なのに、今瓶の中には、生き物の影も形も無い。
 昨日あんなにも可愛らしく水の上を漂っていた海月は、何処にもいなくなってしまっていたのだ。

 一体何処に行っちゃったんだろう?海月が自分で外に出られるはずが無いのにな。

「水に溶けたんだよ。」

 後ろから声をかけられた。

「海月は水に溶けるんだよ。それで、見えなくなったのさ。だけど、その海月はまだ、その水の中にいるはずだよ。」

 海月が水にとける、だって。
 それって、本当なのだろうか。水に溶けた海月。想像もつかない。
 確かに海月はその99%が水で出来ているって聞くけれども。

「想像できないも何も、すぐそこに見本があるじゃあないか。」

 そうだね。確かにそうとでも考えないと、どうして海月がいなくなったのか、その謎が解けない。

 でも、それが本当なら、少しだけ海月がうらやましいな。水に溶けたならば、何処へでも行ける。
 自分と水とが同じものになってしまって、ゆらゆらと、波になったり、泡になったりしながら、やがて空へと上ってゆける。
 そして私は雲になり、雨になり、地に降り注いで、今度は河になり、また海になり、そして永遠になれる。
 ひょっとしたら誰かに飲まれてしまったりだとかするかもしれないけれども、それはそれで、私はかれの血になったり、細胞液になったりして、ずっとずっと生き続けるわ。

 海月は海の上を漂う。お母さんの海に溶けて、何も考えずに。ゆらゆらと優しく包まれて。

「ふうん、だけど君は、本当に理解しているって言えるのかな。」

 え?

「君自身の境界線を、君は本当に知っているのだろうか、ということだよ。君はこの世界の何処までが自分なのかを知っている、と思い込んでいるようだけど、本当に、君は何処までが君なんだろうか。君は、その答えを知っているのかい?」

 私はいったい、何処までが私なのだろうか。
 この指の先?足の先?皮膚で囲まれているところが私?私の意思で動かせるものが私?

 …だけど、たぶんそんな分類は意味がない。
 例外はいつも何処にでもあるのだから。

「君が水の中へ入っても、君は溶けてしまわない。だけどそう思っているのは、君だけなのかもしれない。君の存在は、君だけにしか感じ取れないものなのかもしれないよ。僕がこうして君に向かって話し掛けているのも、たいした証拠にはならないだろう。
 君が見ている瓶の中に、海月はいるはずだ。しかし、そこにいるのはすでに海月ではなくなった水なのかもしれない。それと同じように、僕の話し掛けている『君』などというものも、すでに空虚の中に溶けてしまった君であり、それはもう君ではないのかもしれない。
 君のうらやましがっている海月なんて、そんなものだよ。自分自身すら、自分が何者なのかわからない、そういう不確かなものだ。」

 だけど、水に溶けた海月ならば、きっとその意識の回り、全てが自分と同じものだと感じられるんだわ。
 自分と同じ、とてもいとおしいもの。
 何処まで行っても、それは私。何処まで泳いでも、私は私の中にいる。

 ああ、だけどそれは、ひょっとしたらものすごく寂しい事なのかもしれない。
 何処まで行ってもあなたは私。私はいつでも一人ぼっち。
 どんなに嬉しい事があっても、一緒に喜べる人がいない。

 私はただ孤独な一人芝居を続けるだけだわ。
 それに何だか笑いがこみ上げてきて、思わず涙の雫をこぼしても、それは自分の一部分。
 決して、他人ではない。

 衝突はない、ぶつかるものが何もない。
 ならば私は、どうやって私がいることを証明すればいいのだろう。

「さあて、どうやって君は、君がここにいることを証明するんだい。」

 そうだ、だけど今の私にはこの人がいる。ならば、そんな事の証明は簡単だ。

 私はあなたの身体を抱きしめて言う。


 今、あなたが抱きしめられているもの、それ全てが私よ。今私が抱きしめているもの、それ全てがあなたよ。


 そう言うと、彼は初めて笑った。
 私の答えは、お気に召さなかったかしら。

「いいや、そうじゃない。なかなか素敵な答えだったよ。だけど、一つだけ君は忘れているよ。はたして僕は、君と違う存在だったっけ?」

 ああ、確かにそうね。そんな事考えもしなかったわ。あなたは私とは違うものだって思っていたんだもの。
 このままじゃあ、何の証明にもなりはしない。
 だけど、証明って、しなくちゃいけないものなの?

「しなくたってかまわないさ。君は君だ。僕も君も同じだ。」

 私は海に溶けてしまった海月。
 それならあなたは私?私の外の海?

「君の中の君。海月の中の水。」

 誰でも良いわね、そんなの。

「そのとおりだ。」


 溶けてしまえばあなたも私もなくなるものね。そんなことは関係なくなる。
 あなたも私も何にもなくなって、そしてただ海を漂うのよ。

 私の形も、あなたの形ももうない。すでに溶けてしまったのだから。

 これでおしまい、全部。




 何もかもが溶けてしまった。



FIN.     




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